珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

私のお下がりの行方と私の深読みの行方についての覚書|後者はだいたいいつも迷子

子の心親知らず

小学生の頃住んでいたアパートで、私の母親が階下のおうちに私の服のお下がりを差し入れに行ったことがあった。それに私も同行した。当時私は小学4年生か5年生、階下のおうちの子は1年生であった。それで、階下のおうちのお母さんは私の服のお下がりを受け取って喜んでくれた。私の母親もニコニコしていた。階下のおうちの子とその弟くんはそのやり取りを不思議そうに見ていた。一方の私はというと、一言も発さずただ胃をギリギリさせていた。というのも、私は「階下のおうちのお母さんは本当は私の服のお下がりなんて欲しくないけどご近所付き合いのために渋々貰ってあげてるんじゃないか?そもそも私の服の系統と階下のおうちの子がいつも着ている服の系統は全然違うじゃないか?我々母子が自室に戻ったあとで『ハアー、こんなダッサい服要らないんだけどつい貰っちゃったなあ、ゴミになるなあ』ってお母さんがため息ついてたらどうするんだ?」ということをグルグルと考えていたから、それで生意気にも10歳そこらの小さな胃をギリギリさせていたのである。翌朝、登校のために階下のおうちの子を待っていたらお母さんが一緒にやってきて、「お洋服ありがとう!早速着せてみたよ!」と言って、私のお下がりを着た子どもをスッ……と連れてきた。それで、私はほっとした反面、まだ階下のお母さんの言葉が信じられなくて、「ウーン、ご近所付き合いって大変なんだなあ」などということを考えながら、引きつった顔で笑顔を返していた。

 

普段花柄とかスカートとかの可愛い系の服を着せられてる娘さんがお下がりを差し入れた翌日にボーイッシュなパンツスタイルで登場したら「なんかごめん……」ってなるやん

階下のおうちのお母さん、階下のおうちの子、私の母親、そして私。この中でお気楽なのは、階下のおうちの子と、私の母親だろう。階下のおうちの子は小さくてまだ親に着せられるがままに服を着るような年頃だろうし、私の母親は服を差し入れして満足してニコニコしていたから。問題は、階下のおうちのお母さんと私である。階下のおうちのお母さんが本当に服をくれて助かると思ってくれていたのなら私も助かる。しかし階下のおうちのお母さんの心なんて本人と神のみぞ知るのだから、私の救済もお母さんと神の手に委ねられているのである。な、なんだこれ。階下のおうちのお母さんと私の、見えそうで見えないやっぱり見えるこの心理戦。なんだこれ。心理戦を繰り広げているのはもちろん私の脳内においてである。何故なら階下のおうちのお母さんは私に対しても優しいから。もしかすると階下のおうちのお母さんもお気楽派に属しており、深読み派に属しているのはただひとり私のみであって、つまり私が勝手に私の脳内で踊っているだけかもしれない。

 

あーもう言ってることめちゃくちゃだよ

目の前の相手に対して勝手かつ(本当に)一方的な心理戦を繰り広げてしまうのは私の悪い癖だな。相手が嫌な顔をしたらああ嫌なんだなってすぐ納得出来るくせに、相手が嬉しい顔をしてもああ嬉しいんだなってすぐ納得するわけにいかないのはちょっと人間の心理システムがバグってると思う。嬉しい時にわざわざ嫌な顔をするのは、親しい相手への他愛ない戯れとか或いは当人の性格が捻くれてるとかそういうごくごく特殊な状況に限られるのに、嫌な時にわざわざ嬉しい顔をするのはごくごく日常的にありますからね。そこに「なんで?」って言ってもしょうがないんですけど。相手への気遣いと答えるしか。みんながみんな嫌な時に嫌な顔をしてたらこの世の中成立しないまでありますからね。なんで?成立してよ。みんながみんな嫌な時には嫌な顔をしてそれでもなお円満に穏便に平和的に成立する世の中であってよ。みんながみんな嫌な時には嫌な顔をしてそれでもなお深く傷つく人間が限りなくゼロに近い世の中であってよ。私みたいな人間のために。

 

地球の裏側の人間とネットでご遠所付き合いする方が簡単だと思います

うちの母親はどこに越しても「ご近所付き合い」なるものをしているけどご近所付き合いってめちゃくちゃ難易度高くないですか???私はいつも「この部屋は空き部屋で誰も住んでませんよ私はここにいませんよ中に誰もいませんよって顔して生きてるんだけど。

 

 

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