ぽっかり空いた優先席と心の穴についての覚書|世界が初めから優しかったら存在しなかったであろう優しいものは世界にたくさんある
優先席を回避して座った先が優先席だった
不覚
バスや電車に乗り込んでからものの一秒くらいで自分が座る場所を決定しなくちゃいけないの難易度高い……高くない?
意識して優先席じゃないところに座ったつもりだったのに自分が座っていた場所もまた優先席だったことに降りるとき気づいた。ウケる。もう車内中優先席まみれや。優先席って座りづらいよね。優先席に座ることを躊躇って空席があるのに立ってる人たちがいても、「事故防止のためお立ちの方は空いている席にお座りください」って運転手さんも言いづらいと思う。でも運転手さん的にはメチャクチャ座ってほしいんだろうな~っていつも思う。優先席を回避して立っている客が急ブレーキ時に転んで怪我でもしたら元も子もないですからね。そういうときって運転手さんは始末書的なもの書かされるのかしら。「弁えのあるお客様に恥を掻かせてでもアナウンスで『そこの人席が空いてるんだから座りなさい』と言うべきでした」って書かされるのかしら。「優先席はそれを必要とする人のために空けておきたいという優しいお客様の心情に配慮して何もアナウンスしなかった私が悪うございました」って書かされるのかしら。「これからは心を鬼にして立派な若者たちを遠慮なく注意しまくっていこうと思います」って書かされるのかしら。ま、そう書きたくても書けないのが大人なんですけどねえ。
優先席制度については各社共通でもうちょっと上手いこと出来たらいいのにねって思う
もしも運転手さんが致命的にニブい人間だったら、「ん?あの客なんで席が4つも空いてるのにわざわざ立ってるんだ?」と首を傾げ、「事故防止のためお立ちの方は空いている席にお座りください」というアナウンスを、なんの躊躇もなく行うことができるだろう。さすがにそんなニブい運転手さんはいないと思うが。実際は「ん?あの客なんで席が4つも空いてるのにわざわざ立って……アーッ優先席!!!!!!」みたいな感じなんだろうな。いや知らんけど。公共交通機関の運転手さんたちは、他人の美しい良心と自分の合理的な本心との間に挟まれて悶絶したりするのかな。
「よかれと思って」から始まった結果誰も幸せにならないとかそんな酷いことある?
「よかれと思って」問題は根が深いし、あんまり語ってるとなんだか気分がドンヨリしてくるからやめにしておこう。行為者が「よかれと思ってやったことが結果的に逆効果だったらしい」ことに気づいたとき、被行為者が「よかれと思ってやったのは分かるがぶっちゃけやらないでくれた方が助かった」ことに気づいたとき、すなわち立場の違うふたつの心が苦悶していることに気づいたとき、第三者もまた苦悶するのである。これはもしも行為者が「わざわざやってやったんだから礼を尽くさんかいホラホラ」と考えていたなら起こらない現象であるし、被行為者が「さてはこいつ自分が困っているのを見て楽しみたいがためにわざわざ余計なことをしたな」と考えていたら起こらない現象であるし、第三者が「今日の夜ご飯は何にしようかな」と考えていたら起こらない現象である。良心と良心がごっつんこして両者共に傷ついているのを見ることほど、心が痛むこともないわな。
全部自分の声じゃん
「若者のくせに優先席に座りやがってけしからん!」という他の乗客の架空の声と、「事故防止のために座ってくれて助かるやで!」という運転手さんの架空の声と、「必要な人が来たらちゃんと譲るから許してクレメンス!」という自分の心の声に挟まれる覚悟が必要な席、それが優先席。やっぱ公共交通機関は難易度高いな。公共に生きるの向いてないわ。