不毛な愛を掘り下げる覚書|掘り下げる愛があるだけマシだよ
手と目は大事だね
自分、ひょっとしたら、パンを食うことよりもパンを買うことの方が好きなんじゃないかって、そんなことを思い始めました。人がパンを買う理由はそりゃパンを食うためなんですが、最近の私の場合食うことの方はオマケで、むしろ買うことの方がメインなんですよね。パンを選んでる時間が好きっていうか。「パンを買ったら驚くべきことにパンを食べることができた!ラッキー!」みたいな感覚ですよね。パンを買うことそのものが趣味になりつつある。手段が目的と化しつつある。ところで「手段と目的」って、好きな人はめちゃくちゃ好きなフレーズですよね。「手段と目的を履き違えるな」とか、「手段を目的にするな」とか、「目的は次の目的のための手段でしかない」とか、これら2つの単語を使ってなんかそれっぽいことを言うのが好きな人、いっぱいいますよね。彼ら的に私はどうなんですか?パンを食うことではなくしてパンを買うことが目的の女ですけどこんな私ってどうですか?
節約目的じゃなくてそれ自体が目的なのでセーフ
パンを買うこと自体が趣味なので、必然、自宅には常に数種類のパンが鎮座していて、日々その消費に追われている。パンを買うことが好きです。でも値引きシールが付いているおいしそうなパンを買うことはもっと好きです。値引きシールが付いているってことは、もちろん消費期限が近いということである。大抵、当日中。当日が消費期限のパンを 趣味で 何種類か購入し、家に帰って、冷静になり、パンを消費する計画を立てる。経験上、コンビニやスーパーに売っているパンであれば、涼しい時期は記載されている期限+3日までなら常温保管でも問題なく食べられる。腹を壊したことは1度もない。暑い時期と、+4日以上は知らない。流石の私もそれはちょっとおっかない。それで、なんとかパンを消費する計画を立てたはいいものの、翌日にふらっと寄った先でおいしそうなパンを見てついつい買ってしまうのもよくある話。だってパンを買うことが趣味なんだもん。仕方ないじゃない。
今の在庫と消費期限
くるみチーズパン(今日まで)
バターロール4個入り(今日まで)
キャラメルデニッシュ(明日まで)
一言:期限切れのパンが1つもないの珍しい
満足の前払い制度
それでも今のところ買ったパンは全部食べきっている。食べきれなくて泣く泣く処分したとかそういうことは1度もない。えらい。前日は甘いものの口で甘いパンを買ったけどその次の日にはもうしょっぱいものの口になってて全然気分じゃないパンを食べる羽目になるのは日常茶飯事である。かしこい人は、そのときの気分に合ったパンをそのとき買って、ちゃんと満足できるんだろう。でも私はかしこくないので、来る日も来る日も甘いものの口で買った甘いパンをしょっぱいものの口で食べたりして、おいしいんだけどイマイチ満足しないみたいな気分に陥っている。今日ですか?照り焼きチキンパンが食べたい気分だな~~~と思いながら前日に買った紅茶デニッシュを齧ったりしていました。紅茶デニッシュ半額だったからね。味はおいしかったです。買い物をしていたときの私は確かに満足していたから、いいんです。食べているときの私がイマイチ満足していなくても。
はい
今回はひたすらパンに対して失礼な回となってしまいました。パンを買うのが趣味ですなんてそれっぽいこと言って、そのくせパンを食べるときにはそこまでこだわりがありませんみたいなこと言って、さてはパンに対する愛よりも小売店に対する愛の方が大きいんじゃないですか?パンそれ自体よりもむしろおいしそうなパンを買うことができる小売店、おいしそうなパンを売ってくれる小売店、おいしそうなパンに値引きシールを貼ってくれる小売店のことが、好きなんじゃないですか?この際だから更に思い切って言わせてもらいますけど、あなたの中では値引きシールに対する愛が最も大きいのではありませんか?「パンを買うことが趣味」それ自体はそもそもが手段の手段なんじゃないですか?パンを愛するとは一体何なのですか?小売店を愛するとは一体何なのですか?値引きシールを愛するとは一体どういうことなのでしょうか?愛には大小があるのですか?愛には先後があるのですか?私は一体どこへ向かっているんですか?
パンへの愛を掘り上げたら小麦への愛になりますよ
パンへの愛を掘り下げたら、パンを買うことへの愛になった。パンを買うことへの愛を掘り下げたら、パンを売っている小売店への愛になった。パンを売っている小売店への愛を掘り下げたら、パンを売っている小売店が貼ってくれる値引きシールへの愛になった。愛は掘り下げるもんじゃない。