珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

なんかこういろいろああだこうだな覚書|まあだいたいそういうかんじのあれっぽいそれ

スープが残ったままで放置されたカップ麺容器を見ると「アァ………………」ってなる

ここ最近ずっと温かさと呼べるものがかろうじて残ってはいるが実質冷めていると言って差し支えないカップラーメンの残り汁みたいな表情をしている。何を言っているんですか?要は、顔面が残飯に片足突っ込んでいる状態である。味が付いているぶんただのぬるま湯よりタチが悪い。温かさと呼べるものがかろうじて残ってはいるが実質冷めていると言って差し支えないカップラーメンの残り汁と、温かさと呼べるものがかろうじて残ってはいるが実質冷めていると言って差し支えないお湯、どちらを1リットル一気飲みするか選べと言われたら、そりゃ後者でしょうよ。後者はほとんどただの水だし。とはいえ、冷めかけのカップラーメンの残り汁に向かって「どうして味がついてるんですか!?!?!」と問い詰めるほど気が狂ってもいないので、私は私自身に「どうしてそんな顔をしているんですか!?!?!」と問い詰めることはできない。どうしてって言われてもなあ。冷めかけのお湯みたいな顔してるのもそれはそれでイヤでしょ。

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コーヒーのコーヒー豆抜きかお湯味のコーヒーか

外面はカップラーメンの残り汁みたいな感じですけど、中身はといえば、まあ悪い意味でとってもクリアよね。愛想がね。愛想オールクリアね。なんというかねえ、愛想が減っていった結果「無愛想」になってるんじゃなくて、愛想を”無”でごっそり上書きされた感じ。「無糖」のコーヒー「無」のコーヒーはぜんぜん違うでしょ。そんな感じ。「無」のコーヒーってなんですか?ええっとつまり、「無コーヒー」のコーヒー「無」のコーヒーはぜんぜん違うでしょ。そんな感じ。「無コーヒー」のコーヒーってなんですか?あー、だからこう、コーヒーの味がしないコーヒーじゃなくて、無の味がするコーヒーってこと。そう。それだ。なるほどですね!

 

あじ派はかしこいな

無の味がするってのは、味がしないわけじゃあない。無の味がするんですよ。だってほら、りんごの味がするってのは、りんご味ってことでしょ。だから無の味は無味なんですよ。あれ?結局無味やんけ。ちがうちがう。無味じゃなくて、無味なんですよ。え?あー、だから! 無味むみ じゃなくて! 無味あじ そう。ハイ。無味と無味は違うんです。そして一口に無の味といっても、いろいろなんです。いろいろ。やたら塩辛い無もあるし、生臭い無もあるし、甘ったるい無もあるし、発酵した牛乳が腐ったような無もあるし、腐った納豆が発酵したような無もあるんです。人間が辿り着ける無なんてこんなもんです。透明度101%の氷みたいにSAN値が削れそうなほど綺麗な無なんて、人間界にそうそうあるものじゃあないんです。透明度101%の氷とはすなわち無ってことです。あっだめだ無限ループしそう。それはさておき、あなたの無はどんなやべー味がしますか?

 

無はきっと肯定もしないし否定もしないだろうそれはとても優しいことだね

もしも私が初めから無に生まれていたならば、人生におけるなんかこういろいろああだこうだもなかっただろう。ふわふわしすぎでは?なんかこういろいろああだこうだが無い生き物のことを人間と呼べるかどうかは甚だ怪しい。人間とはなんかこういろいろああだこうだな生き物と相場が決まっている。古事記にもそう書いてある。なんかこういろいろああだこうだはまこと虚しいものである。なんかこういろいろああだこうだすることも虚しいし、なんかこういろいろああだこうだしないことも虚しいし、なんかこういろいろああだこうだ出来ることも虚しいし、なんかこういろいろああだこうだ出来ないことも虚しいのである。無は虚しさを感じるか?無は無であるがゆえに虚しさを感じないか?無は無であるがゆえに何もかもが虚しいか?無はなにも答えてくれない。だって、無だもん。

 

 

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