珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

巡る堂々、その先についての覚書|その先に何があるのか何かがあるのか何かがあると思っているのか

先が思いやられる導入だなあ

私はよく「先」について考えてるけど、いつも加減が分からなくて困っている。はて、我々が「先」について考えるとき、どのくらい「先」について考えるのがよいだろう。なんだかすごく頭が悪そうな文章だ。実際頭が悪いので仕方ない。我々が思案すべき「先」、その最適解とは。おお、ちょっとだけ頭がよさそうな文章になりましたね。でもこれじゃこの先考えるのにちょっと都合が悪いのでやはり頭が悪そうな文章に戻します。えー、どのくらい「先」について考えるのがよいのだろうという疑問。この場合の「どのくらい」とは、長さでもあり、深さでもあり、広さでもあり、大きさでもあり、多さでもあり、それ以外の色々であるところの、「どのくらい」ですよ。

 

 

例えば「お先真っ暗」っていうときの先がどのくらい先なのかってかなり重要じゃないですか

えー、まず我々は、時間的にどのくらい「先」について考えるのがよいのだろう。差し当たり1日くらい先のことを考えておけば事足りる?1週間くらい先のことを考えておけばいい?1ヶ月くらい先のことまで考えた方がいい?1年くらいは考えておいた方がいい?それとも10年?20年?はたまた100年?ウーン。私はここで、いつも躓く。明日のことを考えるのにもウンザリするのに1週間、1ヶ月、ましてや1年以上先のことなんて考えてられっか、と思う日もある。かと思えば、明日のことを考えるよりも10年20年くらい先のことを考えている方が気が紛れる日もある。不思議だな。イヤ不思議でもなんでもないか。1日先に希望が見つからなければ10年先のことを考えていた方が気楽だし、10年先に希望が見つからなければ1日先のことを考えていた方が快適なのは、言わずもがな、自明の理である。

 

人間のお気に入りは「容易に手が届くもの」と「決して手が届かないもの」だからね

えー、続いて我々は、空間的にどのくらい「先」について考えるのがよいのだろう。差し当たり自分の体内とか自分の皮膚の裏側くらいのことを考えておけばいい?せめて体表くらいまでのことは考えた方がいい?それとも腕を伸ばして届く範囲のことを?はたまた足を運んで届く範囲のことを?よもや、到底今の自分には届かない範囲のことまで考えろとは言いますまいな?私はここで、いつも躓く。自分より先にあるものを全て遮断して自分の体内とか自分の皮膚の裏側のことだけ考えていたい日もあるし、逆に、地球の裏側とか、宇宙の果てとか、銀河のその向こうについて考えていたい日もある。どちらにも共通していることは、ぼやけた像としての「先」しか見たくないということである。ホラ、物体は目に近すぎてもぼやけるし、遠すぎてもぼやけるでしょ。まあそれと同じで、限りなく0に近い「先」について考えるか、限りなく∞に近い「先」について考える方が、ぼんやりできて心地がいいのだ。

 

たいへんよく理解できませんでした

まあこんな具合で、時間空間以外にも、面積とか、体積とか、重量とか、質量とか、数とか、形相とか、質料とか、形而上とか、形而下とか、なんかそれっぽい感じで表現されるようなたくさんの「先」が我々の身近にあって、ひとくちに「先」について考えるといっても、そのやり方はあまりにも多すぎるということです。皆さんには私の言っていることが分かりましたか?私には分かりませんでした。

 

テーマ自体は興味深くて好きだよ

「先」を取り扱ってる短い論文を見つけたので試しに読んだけど

「先」と「前」によって示される空間と時に関する表現の分析(2014)

?????ツッコミどころ多すぎない???多分私の書く文章より多い

 

上の論文に関係してちょっとしょーもないお尋ねなんですが

例えばなんですけど「アルミ缶の先にあるみかん」と「アルミ缶の前にあるみかん」ってそもそもみかんの位置が真逆じゃないですか?私の感覚がおかしいのかな?同じく「アルミ缶の先にあるみかん」と「アルミ缶の手前にあるみかん」の場合も、位置は真逆ですよね?でも「アルミ缶の先にあるみかん」と「アルミ缶の前方にあるみかん」にすると位置が一緒になりますよね?違う?ウーン?この場合「アルミ缶の前」という言葉が「アルミ缶の手前」とも「アルミ缶の前方」ともとれるのがなんかよろしくないよね。

 

わたし的にはこうなんですけど

「アルミ缶の先にあるみかん」  私  アルミ缶 みかん

「アルミ缶の前にあるみかん」  私  みかん アルミ缶

「アルミ缶の手前にあるみかん」 私  みかん アルミ缶

「アルミ缶の前方にあるみかん」 私  アルミ缶 みかん

みなさん的にはどう?

shirokuro-044.hatenablog.jp

 

お土産よろしくな

1日先の自分の体内について考えるのも、10年先の銀河のその向こうについて考えるのも、あるいは10年先の自分の体内について考えるのも、1日先の銀河のその向こうについて考えるのも、考えるだけなら概ねタダだ。わあい。個性豊かな「先」を組み合わせて自分だけの最強の「先」を作ろう!組み合わせは無限大!……ああだからその”自分だけの最強の「先」”とは如何なるものかって話をしてるんだ。これじゃ堂々巡りだ。ところで堂々巡りの堂々ってなに?まあとにかくこの堂々も巡るからして、距離があって、空間があって、なんかこう公転みたいな運動があって、時間もあって、私なんかじゃ到底たどり着けないような「先」を観光して、戻ってくるんだろうなあ。