珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

ダジャレを言ったのは誰でもなくきっとお前の認識がそう受け取っているだけなのじゃという覚書|はてなブログクソダジャレ部

ここすき

すき

 

人望の厚い根っからの善人であるインカ帝国の王様が征服者たちの入国を寛容に受け入れ手厚くもてなした結果裏切られ捕らえられ財宝を根こそぎカツアゲされ弄ばれ最終的に殺されるという内容の本です

岩波文庫『インカの反乱』(ティトゥ・クシ・ユパンギ述、染田秀藤訳)巻末の「インカの反乱年譜」より。摂政と折衝。フフッ。「交渉」じゃちと弱いし、「談判」とするには相互妥協の精神が不足しているものな。だから、この場合は「折衝」が最も相応しい。摂政と折衝!ふふ。肝心の内容は、ハイ、章題の通りです。人の心とかないんか?って言われそうです。

 

YO!

ダジャレに強い文章ってあるじゃないですか。学術論文とか、公的な書類とか、そういう類のやつ。こういった文章には当然ウケ狙いもなければ言葉選び上の妥協も一切無いわけです。ダジャレを気にして正しい論文が書けるかって話です。文中のダジャレに配慮しながら作られる法律があったらたまったもんじゃないって話です。要するに、「『摂政と折衝』……なんかダジャレみたいやな……ニュアンスが変わるけどここは敢えて『摂政と交渉』にしとこ……なんかラップみたいやな……」なんてことは絶対にやらないわけです。そんなことやる研究者がいたら研究者失格だと思います。一方我々一般ピープルは、時としてダジャレの前に膝を折ることがある。レポートや報告書の中に意図せぬダジャレが生まれてしまったとき、なんとなく収まりが悪くて、近い意味の別の言葉に書き改めることがある。例えばなんですけど、「株式会社ジョウジョウの上場結果は上々です」って上司宛のメールに書く勇気あります?私にはないね。「順調です」とか「好調です」に書き換えちゃうね。もっとも、当人にとって「ジョウジョウの上場結果は上々」が考えうる限り最も適切でこれ以上に相応しい文章はこの世に存在しないってんなら別ですけど。joujou.co.jp

実在するだろなあと思ったら実在しました おいしそう

 

あなたは一体何と戦って生きているんですか?

ダジャレに負けない強さが欲しいなあ。ダジャレに屈しない強い文章力が欲しいなあ。ダジャレと向き合って乗り越える逞しさが欲しいなあ。やっぱりここは、吹っ飛んだ布団とかアルミ缶の上にあるみかんとか、そういう”当事者”に訊いてみるのがいちばんいいのかなあ。彼らは日々ダジャレと戦って生きているわけだから。生まれたその瞬間からダジャレと、ひいては人間と戦って生きていかなきゃならんのだから。「ただ吹っ飛んだだけ」「ただアルミ缶の上にいるだけ」で、存在そのものがクソダジャレの一部として扱われてるただの布団とただのみかんの心境やいかに。他人の出自や境遇を笑ってはいけないという道徳があるのだから、布団やみかんの出自や境遇にも最大限配慮を尽くしてあげたいよね。何言ってんだ?アルミ缶の上にあるみかんはともかく、布団が吹っ飛んだら大変でしょう。人間だって吹っ飛んだら大変だよ。でもそれを見てワハハと笑うのは最早我々の義務なのである。吹っ飛んだ布団を救出したら、それはもう吹っ飛んだ布団じゃなくなるから、手を差し伸べることもままならないし。お前はそうやって一生吹っ飛んでなきゃいけないんだよ。何故ならお前は吹っ飛んだ布団だからだ。かわいそうに。

shirokuro-044.hatenablog.jp

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当ブログではお嬢様の次くらいに出番が多いアルミ缶の上にあるみかんくん 準レギュラーなのでよろしくお願いしますね 初出はある民家の上にあるみかんくんですが彼は死にましたので今は二代目です(こないだ例の民家を見たら流石にみかん無くなってた)

 

ダジャレはいつどこから襲って来るか分からないので日頃からの備えが大切

こちらとしては大真面目な文章を書いているつもりなのに、文中に意図せずダジャレが成立してしまい、大真面目な文章が大真面目な顔してボケている文章みたいになってしまう問題、なかなか深刻なんだよなあ。日本語として間違ってないし意味はバッチリ通じるんだから別にこれでよくない?って気持ちと、いやなんかふざけてるみたいに思われたら困るから別の言葉に書き換えておこうって気持ち、いつも限界バトルしちゃう。「は?報告書でダジャレを連発するとは一体何を考えているんだ、ですって?私はダジャレを連発したつもりなんかありませんよ。よく読んでください、日本語の文章としては問題なく成立しているでしょう?あなたがそれをダジャレと思うからダジャレなんですよ。私は真面目に書いたつもりです。ダジャレがあるとすれば、それは私の書いた文章の中ではなく、あなたの認識の中にこそ存在するのです」と返す勇気。どうして同じ意味の異なる言葉が世にあれほどたくさんあるのかご存知ですか?どうして人間はひとつの意味にひとつの言葉で満足することが出来ないのかご存知ですか?予期せぬダジャレと戦うためですよ!ハイ。だから人間は語彙力を身につけておく必要があったんですね。