大人げない大人たちのエターナル・ウォーについての覚書|もっと平和的に争え
今回の導入文です
人類はきのこたけのこで争ってる場合じゃないと思うんだよね
誰も傷つけない争いを世に提供してくれる存在たちに感謝しなくちゃね
きのこたけのこで争うのもそれはそれで人類の伝統芸能って感じがしてオツですけど、もっと人類が争うべき理由ってあるじゃないですか。争わないに越したことはないじゃろ、なんてのは野暮です。「争わないに越したことはない」という意見が人類の間で覇権を握ったことがこれまで一度でもありましたか?人間は二項対立チャンバラがだーいすきな生き物なので仕方ないです。そこは妥協します。それはいいとして、もっと人類が争うべき理由ってのは、ウーン例えば、感じることに重きを置いて行動すべきか、考えることに重きを置いて行動すべきか、とか。おっと自分でも思いのほか真面目なことを言ってしまったゾイ。自分でも思いのほか真面目なことを言ってしまったが故に引き返せなくなってしまったゾイ。まあこれは俗に言う「考えるな、感じろ」とそれに対立する(※)「感じるな、考えろ」のことであって、きのこたけのこ戦争に倣って表現するなら感じる考える戦争というわけ。
(※)「考えるな、感じろ」という台詞を目にした次の瞬間には「感じるな、考えろ」という架空の台詞を作らずにはいられないのが人間というものですよ!「対立」という字をよーく見てください!「対立」という字の形の中に、うっすら「人工」という字の形が見えてきませんか!見えませんか?ならば「対立」という字の形を思い切ってぐんにゃり歪めてみてください!利き手じゃない方の手で書いてみるのもよろしい!見えてきたでしょう?歪んだ対立とは、いつも人の手に成るものだ!
必殺!平和がいちばんパンチ!
私は争いが嫌いなので、この場においてはどちらの肩も持たないことにします。でもそれだとたけのこの記事が路頭に迷うのでやっぱりどちらかの肩を持つことにします。そうですね、私は……私は……えー、どっちが好きかと言えば……えー……やっぱり、あっちですね。そうです。あっちの方です。だってあっちはさあ、好きとか嫌いとかそういう難しいたけのこを考慮に入れなくて済むじゃないですか。好きとか嫌いとかいう難しいたけのこの代わりに、正しいとか誤っているとか、善とか悪とか、そういうたけのこを基準にすればいいじゃないですか。好き嫌いは難しいです。一方で、正誤や善悪は簡単です。そこに私個人が介入する余地がほぼない限りなく少ないという意味で、それらは簡単なのです。ね。だから、私はあっちを選びます。
右手でポカポカ 左手でポカポカ みんなをポカポカ ですとろい
相手を好き嫌いで殴ったところでそれは子どものケンカの域を出ませんが、相手を正誤や善悪で殴ることは、立派な争いです。そういう意味から言えば、やっぱり好き嫌いでポカポカ殴り合っていた方が平和です。きのこたけのこ戦争に、正誤も善悪もありません。そこにはただ、好き嫌いがあるだけです。相手を正誤や善悪で殴る争いには、遅かれ早かれどちらかの屈服や降参や壊滅という終わりが待っているでしょう。ですが相手を好き嫌いで殴るケンカには、屈服も降参も壊滅もありません。ただ一歩足を踏み出せば容易に跨げるくらいの、深くて細い溝があるだけです。きのこたけのこ戦争を延々続けていられるのはそういうことですね。我々は終わりが見えている大人の争いの代わりに、終わりの見えない子どものケンカに快楽を求めています。それはいつまでも続けていられますからね。