珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

あわよくば健康に生活するための体力についての覚書|A・K・T!A・K・T!

本日の議題

体力とはなんぞや

 

大学1年生のレポートあるある:定義の引用から始まる

体力とは(定義)

体力の定義でよく用いられているものは、「体力とは、ストレスに耐えて、生を維持していくからだの防衛能力と、積極的に仕事をしていくからだの行動力をいう」という定義です。

体力は、「運動をするための体力(行動体力)」「健康に生活するための体力(防衛体力)」とに分けることができます。

想像の3000倍くらい奥が深かった

 

運動能力はスクールカーストを決定する最重要要素と言っても過言ではないが学生の場合は「いかに大勢の人間の前で堂々と自分の運動が出来るか」であって「いかに運動が出来るか」ではないんじゃよ

私の場合、「運動をするための体力(行動体力)」は自身に全く関与するところではないので最初から放り捨てておくことにする。運動をするための体力があったら健康に生活するための体力に全て振り替えておきたい。持久走が全くできなくてもいい。50m走がダメダメでもいい。25m泳げなくてもいい。テニスのラケットが振れなくても、バスケットボールが握れなくても、野球のグローブの嵌め方が分からなくても、友達ボールの蹴り方が分からなくても、スパイクの紐が結べなくてもいい。健康に生活するための体力がありさえすればなんだってよい。まあ、そんな感じ。運動、というと適用範囲が無駄に広くなる恐れがあるので、スポーツと言い換えることにする。スポーツをするための体力は最初から眼中にない。そんなの英検3級に落ちたくせして1級合格を目指すようなものだから。私の目指す体力はたったひとつである。生活するための!!体力!!!あわよくば!!!!健康に!!!!!

 

あわよくば健康で文化的な最低限度の生活

「健康に」生活するための体力というのも、なんだかとってもゼータクな気がしたので、敢えて「 あわよくば・・・・・ 健康に」と後付けすることで謙虚さをアピールしてみる。どうですか?私、謙虚ですか?健康に生活するための体力ってのは、英検3級落第者にとっての2級みたいなもので、次の試験の日までに猛勉強すれば3級すっ飛ばして2級合格もいけなくはないだろうが、やっぱりちょっと非現実的だよね、みたいなそういうラインだ。へー。私さんにとって健康って非現実的なラインだったんだ。自分で言っといてちょっとショックだな。別に私はなにか病を患っているわけではないが、それでも健康というと少々難易度が高いように感じる。なんでだろうね?

 

上野公園の鳩の方がオレより飯食ってる

私さんにとって健康が非現実的なラインになってきているのは残念ながら現実である。半ば義務のようにおいしいパン屋さんに寄っておいしいパンを買ってはいるものの、体調わるわるでマジで食えねーんだ。夏バテかな?1個に決められないのでだいたい2個買うんだけど、2個の惣菜パンを消費するのに丸々3日とか4日かかったりする。冷蔵庫無いからこれからの季節は流石によくないな。1回で買うパンは1個にしとかないと腐らせてしまう。でも決められないんだよなあ。バイト先でもゼリー飲料半分で気持ち悪くなって帰宅後にゲロ吐いてるくらいには食べる元気がない。インフルエンザに罹ったときはこれの10倍は食ってたと思う。労働はインフルエンザよりタチが悪い。あっでもぶぶか油そばガチ太ならフツーに食えますね。アレは休みの日にしか食わないからまだ食べる体力があるって面が大きいんですけど、あれはこう……食欲とか体調とかそういうものを超越したナニカだから……

 

エシディシ流号泣健康法を見習え

健康に生活するための体力を身に付けるために必要なものは一体なにか?そんなもの小学生でも分かりますよね。ハイ。健康に生活するための体力を身に付けるための体力です。ハイ。残念なことに、体力は体力からしか生まれないのです。明日着る服を買いに行くことができるのは何故か?今日着る服があるからです。今日着る服があってこそ、明日着る服を買いに行くことができるのです。今日を健康に生活するための体力があってこそ明日を健康に生活するための体力が身に付くのです。我々はもう過去にタイムトラベルするしかありません。今日のための昨日、昨日のための一昨日、一昨日のための一昨昨日……と無限に遡って、オギャアと生まれたその瞬間にまで戻らなければなりません。それで、生まれたばかりの赤子に向かって、「健康に生活するための体力!!!!!」と大声で叫んでやりましょう。それしかないのです。そこで一瞬でもピタッと泣き止むようなら、きっとその赤子はその一瞬ですべてを理解したはずです。一瞬ののちにまた嵐のように泣き出すでしょう。そう、そう、そうやってたくさんたくさん泣いて、明日に向けた体力を付けるのです。泣くのにも体力が必要ですから。泣くための体力がなくて泣けない大人がこの世に何人いることか。ハァ。今年のクリスマスにおねだりするものが決まってしまったなあ。