珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

どうあがいてもご苦労な覚書|絶望もご苦労も音が似てるし意味もそう大して変わらんからな

※しばらく前の大雨の日の翌朝に書いてそのまま忘れ去られていた記事です

 

大雨の日の夜にやることといえば!!!!!!

スーパーの惣菜コーナーに行くことに決まってるよなあ!?

 

定価で買え

大雨の日の夜のスーパーの惣菜コーナーでは、半額の惣菜が気の毒なくらい売れ残っているので狙い目。みんなわざわざ外出しないからね。……じゃあみんな大雨の日のごはんってどうしてるのかな?家にあるもので済ます?近場のコンビニで間に合わせる?普段買う層が店に来ないから、あんなに大量に売れ残ってるわけでしょ。私が大雨の日の夜のスーパーで大量に売れ残っている半額の惣菜を眺めながら、普段なかなか食べられないようなおいしい惣菜をお得に手に入れられる喜びに先んじて「作った人かわいそう……」という悲しみを噛み締めているとき、彼らは一体どこで何をしているのかな?そもそもスーパーの惣菜を買う層ってどんな層なのかな?大雨の日にスーパーに行くのを躊躇うような層ってどんな層なのかな?大雨の日にはわざわざスーパーに行かなくてもこれといって問題ないような層ってどんな層なのかな?人について知らなさすぎではないかな?

 

ご苦労しない客は客と呼べるのだろうか

私のバイト先のコンビニでも、雨の日はそりゃあもう、客が少ない。いつもの半分来れば上々といった感じ。さらに大雨となると普段の2割程度である。なんせ深夜だし。世の中には、「こんな夜分に大雨の中わざわざご苦労する」客と、「こんな夜分に大雨の中わざわざご苦労しない」客の2種類がいるんですね。ああもちろん、大雨の日に1日買い物をサボった後者の人々が自宅でひっそり飢え死にしているなどとは露ほども思っていないし、ましてや彼らが悪いなどとは全く思ってないですよ。こんな真夜中に雨の中わざわざ店に足を運ばねばならぬほど物資に困っていないからご苦労しない、もとい店に来ないという、ただそれだけでしょう。それはいいことだね。ご苦労はしないに越したことはないね。天気の悪い日の夜なんかにゃ特に。しかし天気の悪い日の夜にご苦労する人間がひとりもいなかったら、梅雨からの台風シーズンが続くこの時期にはバッタバッタと倒れる店で街が溢れかえってしまうね。やっぱり誰かしら、ご苦労すべきだと思うね。言ってることがさっきとまるで違うぞ。

 

バイト的には客がご苦労しなけりゃ自分たちのご苦労も少なく済むわけだけど長い目で見れば客がご苦労しないことによる店のご苦労はいずれバイトのご苦労に跳ね返ってくるのでどうあがいてもご苦労

誰かしらがご苦労しないということは、誰かしらがご苦労しているということである。客がご苦労しなければ店がご苦労することになるし、逆に店がご苦労しなければ今度は客がご苦労することになる。誰しもご苦労しないに越したことはないけど、誰かのご苦労がないと生きていけない。雨が降りしきる真夜中にご苦労しない人たち。それでいいと思う。我々はご苦労しないに越したことはないのだから。雨が降りしきる真夜中にもご苦労する人たち。それでいいと思う。我々は誰かのご苦労がないと生きていけないのだから。雨の日の来客が体感で晴れの日の半分程度というのは、いい塩梅なのかもしれない。我々はご苦労しない人々を非難することはできないし、ご苦労する人々を嘲笑することもできない。ご苦労しないこと、ご苦労すること、この2種類のネットの間に挟まって、やんややんやと言い合いながら、叩き合い、蹴り飛ばし、吹っ飛ばされてぼよんぼよん、さっきまでご苦労しない側にいると思ったらいつの間にかご苦労する側にいる、なんかそんなことばっかりやってるよな。人間って。

 

定価で買え(2回目)

私が大雨の日の夜にわざわざスーパーへ足を運んで半額の惣菜を買っていくのはご苦労に値するだろうか?「大雨の日の夜にわざわざ」という点を見ればご苦労だが、「半額の」惣菜という点を見れば遠回しにご苦労ではないだろう。お財布的な意味で。店の側から考えても、「大雨の日の夜にわざわざ」来てくれる客がいることによって僅かなりともご苦労を免れるが、「半額の」惣菜ばかり買っていかれるというのは遠回しにご苦労を被っているのである。売上的な意味で。あーもうめちゃくちゃだよ。ご苦労のない世界って、どこにもないんでしょうか?ご苦労のない世界を見つけるのにもご苦労が必要なんでしょうか?我々の一挙手一投足から全てのご苦労を振り払うことは永久に不可能なのでしょうか?そんなことが出来たら苦労しないって?……それもそうですね。