珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

ライディングパン作りアクセラレーションな覚書|まるで意味がわからんぞ!

これは愛の重さ

実は私パンの中でも特にライ麦パンがメッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ

 

愛は段落を超えるんやなって

チャクチャ好きなんですけど、あっどのくらい好きかっていうと、5年くらい前に高級スーパーでバイトしてたときにステマッハーの全粒粉ブレッドかなり個人的な理由で全種類仕入れて売り場広げて頼まれてもないのに自腹で色紙とポスカ買っておすすめPOPを手作りしてたくらい好きなんですけど、残業帰りにたまたまふらっと寄った店にそれはもうすんげえずっしりしたドライフルーツ入りの手作りライ麦パンがあって、握りこぶし大くらいのサイズで380円と決して安くはない金額だったんですが、速攻で買って帰宅して早速食べたらそりゃもうおいしいのなんのって、あっちなみに全種類仕入れてPOPまで作ったメステマッハーの全粒粉ブレッドは全然売れなかったのでほとんど私が買ってたんですけど、そんでその勢いのまま近場にライ麦パンを取り扱ってるパン屋ないかなって調べたらやたらお隣の校区にドイツパン専門店が何店かあるらしくて、でもやっぱりお隣の校区って徒歩で行くの地味にしんどいなって思って、熟考した結果「自転車を買う」コンベクションオーブンを買う」の二択まで絞れたんですけどどっちがいいと思いますか?

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ちゃんと息継ぎした?

してない

 

旅行は旅行カバンに荷物詰めてる間が楽しみのピークだってこのブログでも3回くらい言ってる

結局ねえ、何事も練習しかないんだわ。人生は練習。人生は死ぬまで練習。練習に始まり練習の途中で死ぬのが人間。ええとだからつまり、自転車を買って自転車の練習をするか、コンベクションオーブン買ってライ麦パンを作る練習をするか、ってこと。どうしてそうなるんですか?前者にはパン屋さんに行きやすくなるのはもちろん普段の行動の幅がグンと広がるというメリットがあり、下手すると車に轢かれて死ぬというデメリットがある。後者には自宅で焼きたてのライ麦パンを食べられるというのはもちろん趣味が増えて人生が豊かになるというメリットがあり、下手するとオーブンに轢かれて死ぬというデメリットがある。前者の練習はどうしても野外に出る必要があるが、後者の練習は自宅に篭っていても出来る。前者の練習は身体と自転車さえあればいつでも出来るが、後者の練習は材料やら何やら用意しなければならないものが多すぎる。前者は15年のブランクがある程度で済んでいるのに対して、後者に関しては完全にド素人。あーん。こんなに悩ましくて夢いっぱいでアホらしい二択、ある?

 

「趣味はパンです」という意味は通じるが絶妙にモヤモヤする日本語

ひょっとするとこう思う人もいるかもしれない。「両方やったらええやん」と。自転車の練習もやって、パン作りの練習もやる。それでええやんかと。確かにそうだ。パン屋さんのパンが食べたい時には自転車を漕いで、自分のパンが食べたい時には自宅でパンを作る。こんなに素晴らしいこともないわな。ここまで出来れば「趣味はパンです」って胸張って言えると思う。にも関わらず私がこうやって2つの選択肢を前に足踏みしてウンウン唸っているのは、ぶっちゃけ本心ではどちらも選びたくないからなのだ。この歳で自転車の練習をやり直すのも心底面倒だし、パン作りにはちょっと興味があるが、やっぱりパン屋さんで買った方がいいと思ってる。本当のところは、自宅から徒歩1分のところにドイツパン専門店がいっぱいあればいいのにって思ってる。でも現実はそうではないから、こうやってそれらしい選択肢をわざとらしく並べておいて、それを皆様にもお見せして、あたかも練習をする意思があるような素振りをして、本気を出せば私にだって練習が出来るんだぞって自分に言い聞かせておいて、それを皆様にもお聞かせして、まあ、なんですか、結局どちらも選ばないんじゃないでしょうかね。

 

「買うお金」を「やる時間」に置き換えてもだいたい同じことですね

ところで、もしここで私が「自転車を買うお金もなければオーブンを買うお金もないよ」と言ったならその時点で全てがハイ終了になりますよね。もうおいしいライ麦パンのことは諦めよう。一応そんなことはないんですけど。買おうと思えば買えますよ。でも「自転車を買うお金もなければオーブンを買うお金もないよ」というのは、言い訳として実に見事だと思いませんか?簡潔明瞭にして、万人を納得させることが出来ます。実際問題お金がないなら、お金がないと本人が頑なに言い張っているのなら、その時点でハイ終了なんですよ。「お金がない」という言葉は長きに渡って、我々にたくさんの物事を諦めさせるのに多大なる貢献をしてきましたね。本当にお金がなかったのかどうかは、本当にお金がなかっただけなのかどうかは、また別にしてね。

 

ところでコーヒーの練習はどこに行ったんですか?

差し当たり「お金がない」「時間がない」は禁句にしよう。「お金がない」「時間がない」という至極尤もらしく万人を納得させ得てしまうような言い訳は禁止にしよう。もっと見苦しくて情けなくて惨めで目も当てられないような人間臭い言い訳を考えよう。「失敗したら嫌だから自転車の練習もしないし、パン作りの練習もしない」。ウーン、これですよ。これこれ。これぞマイナス100点満点だ。ライ麦パン食って寝よ。