珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

オーブンレンジは毎月買うものではない覚書|私が石油王だったら毎月買う

ケチャップの使い始めと使い終わりは名状しがたい音がするよね

「給料が月にあと2万あったら毎月アイリスオーヤマのオーブンレンジ買えるな……」と考える程度には愚かしい人間なのですが、毎月オーブンレンジはさておき、毎月あと2万について妄想を巡らすのは愉しいものです。今はタイガーの電気ケトルとキッチンの壁紙シート?的なものが入り用なんですよねえ。以前にも書いた気がするんですが、キッチンタイルの色と模様がマジで気に食わない。新品のケチャップから最初に出てくる水っぽいアレみたいな色しやがって。その上小粋に花なんか散らしおって。私がキッチンを使ってない理由の99.9%は単に面倒で料理しないからだけど、0.1%は壁がダサすぎるってのもあると思うね。絶対あるぞ。ちょっと古い賃貸のキッチンってどうしてこう、言っちゃ悪いけどババ

shirokuro-044.hatenablog.jp

 

検閲されてたらいつのまにか段落変わってたゾ

人間の「これがあと少しあったら」は「これがあと無限にあったら」と実質同義なので、これに思いを巡らすことがそんなに有意義であるとも思えない。でも愉しい。愉しいよね。これがあと少しあったら、毎日がちょっと便利になるかもしれないし、生活がちょっと豊かになるかもしれないし、人生がちょっと有意義になるかもしれない。そういう妄想をするのは、愉しい。妄想するだけなら、タダ!「これがあと少しあったら」を人類が一心不乱に追求してきた結果、我々が暮らす今の世の中が存在するわけなんですけど……あのー、あと少しあと少しって言いますけど、いつ頃到達できそうですかね?

 

最後の一口は、せつない。

人間のあと少しにはキリがないし終わりがないんだ。ただまあ本人があと少しって言ってるわけで嘘はついてないんだからあと少しであることに変わりはないよ。でもあと少しはどこまで行ってもあと少しなんだよ。それは決して「おいしいケーキの最後の一口」が永遠に続くような夢心地ではなくして、「苦手なピーマンの最後の一口」が永遠に続くような悪夢なんだよ。あと一口、あと一口って。あと一口食べたらピーマン完食出来るからって。我々は一体いつまで、ピーマンの最後の一口を食べ続けねばならないのか?

 

止まるんじゃねぇぞ……

幸せを追求するために幸せを犠牲にするとか、幸せと二人三脚するために幸せを置き去りにするとか、幸せにメシを食わせるために幸せの肉を屠るとか、そういうことを平気でやるけど、マジで大丈夫なのかな?ってときどき心配になります。発展に犠牲はつきものですが、「発展に犠牲はつきものである」という概念自体もまた我々が負っている犠牲ですね?我々はどこまでも続く上り坂を「あと少し」という自転車に乗って気合と根性で登り続けている生き物ですから、漕ぐのを止めた瞬間そのまま後ろ向きに滑り落ちていくでしょうね。もうどんなに頑張っても足は動かないのです。一度止まることは即ち永久に止まることです。

 

あと少しあったら嬉しいもの

・おちんぎん(2万くらい)

・身長(5cmくらい)

・集中力(45分ぶんくらい)

・フード付きジップパーカー(2枚くらい)

よろしくお願いします。