珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

「ああ」さんだったり「こう」さんだったりする覚書|オンリーワンは持て余すよ これくらいがちょうどいいのさ

インターネットは表世界だろ!

そういや最近「ああさんですか、こうさんですか」って尋ねられることがないな。名前の話です。私は白黒れむと云う者ですが、これは表世界での名前で、実は裏世界での名前をもうひとつ持っています。裏世界ってのは、分かりやすく言うと現実世界ってことです。で、「ああさんですか、こうさんですか」というのは、この裏世界における名前についての質問のことをいいます。私の裏世界における名前は、上半分も下半分もごくごくありふれたものです。いい意味で普通だと思います。ですが漢字で書くとどうしても、下半分の方が、「ああ」とも読めるし「こう」とも読める、すなわち人名として2通りの読み方が存在するのです。例えるなら、「しろくろさんですか、はっこくさんですか」と訊かれるような具合です。ちなみに白黒ははぐろって読みます。

 

ああ!

もう1年、いやそれ以上前になるのか、同じ夜勤で新人の女の子が入るということでシフト表を確認したら、下半分が私とまったく同じ文字列だった。おっと。上半分が被るよりやりやすいかもしれないが、小さな職場、同じ勤務時間の人間同士で下半分が被るのはなんだかそう、なんだかアレな気分だぞ。数日後彼女と初めましてをした。初対面の挨拶はお互い上半分だけで済ませた。その後いくつか勤務上の説明をしたが、私はあのことを訊きたくて訊きたくてうずうずしていた。やがて一通り説明し終えたところで、とうとう彼女に尋ねた。「あの、お名前の読みなんですけど、ああさんですか?それともこうさんですか?」「ああです」

……やりぃ!

 

半年位で辞めちゃったけど元気してっかな

「ああさんですね!ちなみに私はこうです!」「こうさん!あっ字が同じなんですね~!」なんかこんな具合に短い会話をして、研修に入った。彼女の口から「ああです」という返事を聞いたとき、謎の安心感が私を襲った。字は同じでも、新人の彼女はああさんで、私はこうである。ふゥン。別に被るのが嫌だとかそんなことは断じてない。そんなことにいちいちこだわるような歳でもない。別に被ったら被ったちょっと愉快な感じがしていいと思う。でも彼女はああさんで、私はこうだ。それを脳が理解した瞬間、私はなにやらとてつもなく大きな自己を感じた。自分自身が自分自身に向かって手を振りながら駆け寄って来るのを感じた。今この場にいる2人の名前、漢字は同じだけど読みが違うというただそれだけのことによって、「彼女は彼女」「私は私」という、強烈な「個」を感じ、安心したのである。

 

被っちゃった結婚

逆に、読みまで同じだったらどんなものを感じられただろう。親近感といえば親近感なのだが純粋な親近感とは違う、不思議な感じ……微妙なニュアンス……表現するのが難しい。ウーンそうだな、今自分が手元に持っているものが突然もうひとつ目の前に現れて一瞬狼狽えたがすぐに落ち着きを取り戻し、「ああ、分かっちゃいたけど、私の手元にあるこれは決して唯一のものじゃなくて、この世には同じものがふたつ、みっつ、もっともっとそれ以上存在するんだなあ」としみじみ実感するような感じ。実家に帰省したときに買ったバッグが休み明けの職場で被っちゃったみたいな感じ。「ア、アレ……これ私の地元の洋服屋さんで買ったんだけどな……あの子は一体どこで買ったのかな……別に有名ブランドってわけでもないし……びっくりしたけどまあそういうこともあるか……」みたいな。

 

個性が強ければ強いほど被ったとき気まずい

そこらへんの洋服屋さんで売っているバッグがこの世にたったひとつしかないオンリーワンのバッグとも考えにくい。どうせ工場でいっぱい生産されてるんだろうから、日本中、もしくは世界中探せば同じものはたくさん出てくるだろう。でも、身近に持ってる人はいないし、街歩いててもこれを持っている人に出くわしたことないし、ひょっとするとこのバッグを持っているのは世界で自分だけなんじゃないかって、そんな考えに襲われる。実に愚かな考えだと自覚しているが、案外悪い気分でもない。しかしある日病院に行ったら先に待合室にいたお姉さんが同じバッグを持っていて、一瞬ビクッとする。急にどこかからここへと引き戻される。「あっ、やっぱり同じの持ってる人いるんだ……そりゃそうだよね……そりゃそうだよ……」。思わずバッグを隠すように抱える。お姉さんが振り返って私の抱えているものに気づくことがありませんようにとお祈りする。まあ、なんか、そんな感じだ。ちょっぴりアンニュイ。