珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

たいへんよく疲れました覚書|有意義なことも有意義ではないこともそこに大した違いはないからダイジョブダイジョブ

悪夢をみると評判のY1000で例のアレに罹った夢を見ました

いやーよく疲れた。たいへんよく疲れましたって感じだ。ここ1週間くらいは実によく疲れた。栄養ドリンクとY1000を何本飲んだか分からない。一生分くらい疲れた。一生分の疲れを先取りしてるような感覚だったけど、きっとそんなことはなくて、これから先もあれくらい疲れる日がやって来るのだろう。やだなあ。住民税納付額の通達が来るくらい嫌だし、火災保険の支払い用紙が来るくらい嫌だし、確定申告のお知らせが来るくらい嫌だ。

 

何もしなくてエライ

そんなわけで、ここ1週間くらいは何もしなかった。本も読んでないし、部屋の掃除もしてないし、パンも作ってない。よく疲れる前に作ったパンの記録があるので、それはぼちぼち記事にして上げていこうと思う。ブログも……まともに書いてないですね。申し訳程度の生存報告と、書き溜めしてた記事を吐き出してたくらい。はー。人が自虐的に「何もしなかった」というときは、基本的に「有意義なことを何もしなかった」の意である。当然、本当の意味で何もしなかったわけではない。労働には行っていたし、洗濯はしたし、メシは食ったし、コーヒーは飲んだし、手や足は動かしたし、息は吸ったり吐いたりした。でもそういうことは、往々にして「何かした」のうちに入らないんですよね。別に入れてもいいと思うんだけどなあ。偉いよ。生きてるだけでも。

shirokuro-044.hatenablog.jp

 

読書死に寄す

何もしなかったこと自体は別に悲しくない。だってたいへんよく疲れてたんだもの。1週間くらい本読まなくたって死にはしないし、むしろ無理して本読む方が死ぬから。死因が「疲労体で無理に本を読んだから」って……あれ、ちょっと読書中毒者みたいでイケてますね?イケてるのかな?人間どうせいつか死ぬならこういう理由がいいな。いや、生きて元気な身体で本を読めることに勝るものはないわな。

 

有意義なことをしてもいつかは死ぬんだけど

何もしなかったこと自体は別に悲しくないんだけど、人間、有意義なことを何ひとつしなくたって生きられてしまうんだなあと気づいて、少し悲しくなった。ただロボットみたいに労働したり、義務感に苛まれながら洗濯したり、惰性でメシを食ったり、習慣でコーヒーを飲んだり、だらだら手や足を動かしたり、なんとなく息を吸ったり吐いたりしているだけでも生きられてしまうんだなあと悲しくなった。有意義なことをしなかったからってすぐに死ぬわけじゃないし、それどころか死ぬまで有意義なことをしなくても、死ぬまでは生きられてしまうんだな。

 

がんばるぞい

今日はいつもより2時間早く出勤せにゃならん 寝坊記録更新中の私に励ましのお便りください