サーターアンダギー物語|たかしを添えて
※疲れてます
なんか最近いい感じのものが色々欲しくなってきたぞ
これが……物欲!?
100万円を古い 皮袋 に入れるなってジーザスも言ってる
ウンウン。それもまた物欲だね。まあこの欲求、より根っこの方に着目して表現するならば、生活を、もっと言えば人生を、いい感じにしたいという欲求だね。漠然としてんなあ。それで、生活を、もっと言えば人生を、いい感じにしたいと思ったら、人はまずいい感じのものが欲しくなるんだ。それも、うんとたくさんね。100万円で自分をいい感じにするのは難しいが、100万円でいい感じのものを買うのは実に簡単だ。それに、100万円でいい感じのものを買うことで自分がいい感じになるのなら、それは結果オーライというやつ。
それ記憶喪失だよ
自分の身の回りをいい感じにする方法ならごまんと知ってるんだけど。自分そのものをいい感じにする方法ってなかなかわからんね。ウーン。なんかほとんど同じような言い回しでほとんど同じような内容の記事を書いた記憶がうっすらあるんですけど、というかここ最近は記事を書くたびにそういう感覚に襲われるんですけど、当ブログもなんだかんだで3年半やってるんで、そんなもんですよね。「はて、私はほとんど同じような内容の記事を以前にも書いたような……それどころか以前からほとんど同じような内容の記事ばかり書いているような……」。
セブンのちっこいサーターアンダギー6個入りうまいけど2個で飽きる 私があと2人いれば解決するのに
というかそもそも、自分の身の回りと自分そのものの境界線ってどこにあるんでしょう。「身の回りの世話」って言葉があるけど、どこからどこまでが「身の回りの世話」に該当するのでしょう。身の回りっていう言葉をそのまんま捉えたら自分の身体のぐるっと周囲くらいの意味になりますけど、文字通りに自分の身体のぐるっと周囲だけお世話してたところで大抵は怒られるじゃないですか。身の回り。身の回り。……マジで身の回りってなんだ???仮にある人の「身の回り」をドーナツ、ある人そのもの、すなわち「身」をドーナツの穴だとすると、やがて世界は1つの巨大なサーターアンダギーで占められることになるでしょう。ドーナツの外周円は外へ向かっていくらでも拡大しますし、ドーナツの内周円は内へ向かっていくらでも縮小しますから。限界まで拡大と縮小をし終えたら――もうこの時点で「身」はほとんどその姿を消していますが――その後は空間いっぱい滅茶苦茶に膨張するのみです。なんで空間いっぱい滅茶苦茶に膨張するかって、そっちのほうが強そうに見えるからです。そうなればもう、「身」と「身の回り」を区別するものはなにもありません。「身」は「身の回り」と同じです。同じなんです。
よくわかる図解
J( 'ー`)し
少し具体的に考えてみましょうか。いわゆる「身の回りの世話」には、そうだなあ、洗濯が含まれますよね。洗濯ってのは、洗濯物をきれいにすることです。ところで、洗濯物をきれいにすることを指して、「洗濯物の世話」と呼ぶのはどうでしょう。ウーン。意味の上では間違っちゃいないんでしょうが、あんまり使わないですよね。ちょっと想像しましょう。「たかし!!洗濯物の世話くらい自分でやりなさい!!」……ウーン。別に悪くはありませんが、ちょっとヘンな感じがします。じゃあ思い切ってこうしましょう。「たかし!!身の回りの世話くらい自分でやりなさい!!」……さっきよりはしっくりきますね!
つまりね
たかしの正体は洗濯物だったってこと
これTRUE ENDだから
なんかそれらしく語り始めたはいいんですけどいい感じの着地点が見いだせなかったのでここで強引にたかし洗濯物ENDです。私はどこへ向かっているんだろう。私がどこへ向かっていようが事実はひとつ、そう、たかしは洗濯物だったのです。それと同時に、たかしは今食べたばかりの夕飯の食器でもあり、ぐちゃぐちゃに散らかった勉強机でもあり、ぜんぜん用意してない明日の時間割でもあり、カピカピのお習字道具でもあり、真っ黒な上履きでもあり、……下手すれば、両親にねだってねだってようやく迎えてもらったペットのポチですらあります。たかしのペットのポチは、たかしがドーナツの中で世話をしている限り、たかしでもあるのです。
まとめ
洗濯=身の回りの世話
洗濯=洗濯物の世話
身の回りの世話=洗濯物の世話
身の回り=洗濯物
身の回り=身
身=洗濯物
身=たかし
たかし=洗濯物