珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

孤独のグルメに自分は要らぬ覚書|「自分を消す方法」 検索

ブログでおいしいパンのレポとかやりたいんだけど

写真撮りながら感想考えながらメシ食うの難易度高すぎる

 

うるさい

まず食べる前のパンを、こう、いい感じに皿に載せて「見てください!!!おいしいパンです!!!」って感じの写真を撮るでしょ。必要ならコーヒーカップ添えたりちょっとした小物を添えたりするでしょ。そしたら次に手に取って「見てください!!!おいしいパンです!!!」って感じの写真を撮るでしょ。中に具が入ってるパンだったら断面の写真とか撮るでしょ。そうじゃなくてもこう、「見てください!!!おいしいパンです!!!」って写真を撮るでしょ。んで最後に「見てください!!!皿です!!!」って感じで空っぽの皿の写真を撮るでしょ。それに加えて食べてる間はずっと記事に書くための感想を考えてるわけでしょ。ウーン。厳しい。この場合の厳しいというのは3つ意味がある。ひとつはスマホを構えたり下ろしたりしながらもたもた食事することに抵抗があるということ。もうひとつはおいしいパンはパクパク食べちゃうからいちいち手を止めて写真なんか撮ってられないということ。そして残りのひとつは……

 

ええっ!?そもそもメシは独りで食うものじゃあないんですか!?

おいしいパンを食べるときはね、誰にも邪魔されず自由で、なんというか救われてなきゃあダメなんだ。独りで静かで豊かで……。このどこかで見たことあるような文章こそ、私がパン屋さんのおいしいパンを食べるときの信条なのであるが、ウーン、上のような食事は、特別この信条に反しているというわけでもないですよね?誰にも邪魔されてないし。自由にやってるし。おいしいパンはそれだけで救いなのだし。強いて言えば「静かで」というところに難があるだろうか。でも無音カメラ使ってるからシャッター音はしないですよ。そういうことじゃない?ウーン。ウーン?ああ、あー……ひとつ訂正しなくちゃいけない箇所がありますね。「誰にも邪魔されず」って部分ですね。めちゃくちゃ邪魔されてますね。私に。

 

フォトショップ使えばお気に入りの写真に写りこんでしまった私を消すことだって出来る そんなかんじで頼むよ

私が誰にも邪魔されず自由で救われながら独りで静かで豊かにおいしいパンを食べるのをいちばん妨げているのは、私ですね?あーハイハイ。合点がいきました。おいしいパンと幸福な時間にいちばん不必要なもの、それは私ですね?おいしいパンを食べるとき、私は要らないんですよ。スマホや皿をガチャガチャしてうるさいし。イモムシみたいな指がニュッと出てくるのも、その指でおいしいパンを無遠慮に掴むのも、掴んだパンを無残に噛みちぎるのも、それを歯ですり潰したり唾液と絡めたりするのも、全てが余計なんです。主役はおいしいパンなんだから。となると、どうやって私は私を排除しましょうか?

 

おいしいパンと釣り合いが取れる存在ってなんなんだろうな……

目の前に素晴らしいものがあって、周りの風景や脇を固める諸々も申し分なく、ただそこにひとつ、自分という存在だけがこの空間の全てを台無しにしていると感じるとき、人は自分という存在に対して一体何ができましょう?もしも自分がミロのヴィーナスやモナリザのように美しい存在であったなら、このように煩悶する羽目にはならなかったというのに。素晴らしいものは身近にたくさんある。ただ、自分だけが素晴らしくない。自分だけが、これらの素晴らしいものたちが集まる空間に水を差している。まったく、自分ってやつは、どうしてこう……

 

まあそれはそれとして

客が2人いたらもうお互い身動き取れなくなるようなクッッッッッッソ狭い売り場に対してその5倍くらいの面積の厨房が隣に開けておりその中で3人くらいのパン職人さんが毎日パンを作っている光景をすぐ間近で見られる素敵なパン屋さんを見つけてしまったんだけど、あの店どうやって利益出してるんだろう。いつ行っても売り子さん含めて従業員4人は絶対いるのにあの狭さと品数の少なさでどうやって採算取ってるんだろう。やっぱり大部分はレストランに出したりホテルに出したりしてそれで稼いでるのかなあ。パン屋さんってすごいなあ。