多くもなく少なくもない覚書|多とか少とかいう煩わしい概念のない世界で自分らしくのびのび暮らしたいそこのあなた!諦めましょう!
お片付けの時間だ~~~
どういう経緯で始めたのかさっぱり思い出せない片付けを終えて、パンパンに太ったゴミ袋が足元に3つ転がっているのを眺める。ウーン、これはいいデブ。これは許されるデブだ。ぎゅうぎゅうに詰まったゴミ袋の口は結ぶのになかなか骨が折れるけども、袋を上から横から押さえつけて押さえつけてやっとこさ結べたときの達成感ったらないね。ころころしたフォルムが、かわいいね。
ニュースを見ると心が乱される心地がするのはそういうことです
多く捨てるのはよいことだし、少なく捨てるのもまたよいことだ。捨てられるものが多いのはよいことで、捨てられるもの少ないのもまたよいことだ。捨てる余地しかないほど手持ちが多いのはよいことだし、捨てる余地がないほど手持ちが少ないのもまたよいことだ。しらんけど。世界の関心は多いものと少ないものにしか向かないからね。多いものが多いことや、少ないものが少ないことには興味津々でも、多くもなく少なくもないものが多くもなく少なくもないことには、みんなあんまり興味ないでしょ。でも世界のうちのたくさんは、多くもなく少なくもないものが多くもなく少なくもないことで占められてる。たくさんの無関心で、世界は出来ている。
あいつらのせいでいつもスムーズにいかないんだよな
そうは言ったものの、結局多い方がよいのか、少ない方がよいのか、多くもなく少なくもない方がよいのかわからん。多い方がよい、ということが太古の昔から絶対不変の法則として扱われてきたように思われるのだが、なんというか、ときどきこう、いるじゃないですか。「多い方がよい」が満場一致で可決されそうな雰囲気の議会で突然立ち上がって、「いや、少ない方がよい!」と声高に主張して議論をまた振り出しに戻そうとする逆張り精神旺盛の変わった種族が。人間っていうんですけど。
おれの名はジョジョ!ニューヨークから来た!
あ~~~わからん。なにも。わからん。結局私とて、多くもなく少なくもない、世界がまったくの無関心であるところのひとつにしか過ぎないのだから。こうなったらアレですね、多くもなく少なくもないプロを目指すしかない。そうと決まれば早速多くもなく少なくもないプロに弟子入りしよう。ノックしてもしもお~~~~~~し!!
ここで多くもなく少なくもないプロの話を聴く
(多くもなく少なくもないプロの話を聴いている顔)
問答
……なるほど。総じて我々が多くある場合にはロクなことにならないし、少なくある場合にもロクなことにならないということがよく分かりました。すなわち……中途半端がよい、ということですね?――いいえ、中途半端もいけません。よいのは、多くもなく、少なくもないことです。――それは……中途半端となにが違うんですか?――中途半端とはまったく違いますよ。要するに中間とか、平均ってことです。――中間とか、平均!先程とまったく同じ質問になりますが、それは中途半端となにが違うんですか?――中間や平均は、多くもなく少なくもなく、その上きちんと収まり留まっている、安定しており、平静で、快適な状態です。一方中途半端というのは、多くもなく少なくもないという点では同じですが、あっちに転がったりこっちに転がったりする可能性に絶えず脅かされており、まったく落ち着かない状態を指します。――本質は同じだけど、前者は薬で、後者は毒ってことですか?――まあ、そうなりますね。――なるほど、まるでタロットカードの正位置と逆位置のような関係だ。ついでにもう一つ質問させてください。半端ではない中途というものは、存在しますか?――いい質問ですね。ところで……
うん……うん……?
中間や平均にいるのは安心するけどずっとここにはいたくないっていうあの微妙な心理。いつかは中間や平均から飛び抜けたいけどずっとここにいたいっていうあの複雑な心理。中間や平均でぬくぬくと過ごしながらうまいこと世界の関心を引く方法はないんでしょうか?いや別に世界の関心を引きたいわけじゃないんですけど……私が世界のことを忘れても、世界は私のことを忘れないでいてほしいんですよ。それだけです。
続・問答
……なるほど。おいしいナポリタンの作り方はよく分かりました。では、中間とか、平均にいる人間が、この世で最も幸せな人間ということになるのしょうか?――そうだと言いたいのは山々なのですが、現実はちょっと違いますね。だいたい平均だけど、平均よりちょっとだけ多い、これがこの世で最も幸せな人間です。――先生、やっぱりこの話はよくわかりません。――おや奇遇ですね。私もです。