珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

802000000(ハチマルニイマルマルマルマルマルマル)運動についての覚書|80歳まで年収200万で働き続けましょうねっていう運動

空白の10年

20歳くらいのころ「これから40年働かなくちゃいけないのか……」と思ってたのに30歳を目前にして「これから40年働かなくちゃいけないのか……」と思ってるの闇が深い

 

出勤から退勤までを1労働と呼んでる

真面目な話、私は何歳まで働かなくちゃいけないんだろう。両親はもう60超えてるけど、普通にバリバリ働いてる。といっても母親がやってるパートの方は、60超えたら労働時間に制限がかかるらしく、休みが増えたと言っていた。しかしやること自体はそれまでと変わらないので、労働時間が短くなったぶん、余計にキツくなったとも言っていた。なにそれ。地獄じゃん。パートだから働いた時間しかお給料がもらえない、労働時間が短くなったということはそれだけお給料も少なくなるということ、それでいて仕事量はこれまでと同じ、つまり1労働あたりの報酬は減ったのに1労働あたりの負荷は増えたと。なにそれ。地獄じゃん。

 

既に地獄では?

いずれ私もそういう地獄の中に身を投じることになるのかなあ。まあその歳まで今のバイトを続けるのは間違いなく無理ですけどね。運動量が多すぎるし、重い荷物も運ぶし、階段の上り下りがマジでキツい。もう既に限界を感じる。とかなんとか言って、貯金が目標額に到達したら今のバイトは辞めるつもりとかなんとか言っといて、なんだかんだでだらだらと居座り続けるんだろうなあ。今いる最年長のパートさんが38歳?39歳?そのくらいだったかな?でもあの人は職場1ベテランにして職場1パワフルな人だからまったく参考にならん。前にも言った気がするが、これだけ動いてるのにただただ消耗するばかりで体力が一向につかないのはおかしいと思う。イヤほんとなんで???

 

「年収200万円 でも・・豊かに暮らす方法」だったらまた違っていただろう

少し前、もうひとつのバイト先のコンビニに、「年収200万円で豊かに暮らす方法」みたいな本が置いてあった。視界に入るたびに悲しくなるから早く返本期日が来ないかなあと思っていた。年収200万円ってのは、「豊かに暮らす方法」をわざわざお金払って手に入れなくちゃいけないくらい、「豊かに暮らす方法」をわざわざ教えてもらわなくちゃいけないくらい、「豊かに暮らす方法」をわざわざ意識して実践しなくちゃいけないくらい、豊かに暮らすことが難しい層だと思われてるのか。まあ、フツーそうなりますよね。私なんかは子供もなければ車もない、住宅ローンもないし返済奨学金もない、追われる借金もないが追う夢もない、言ってしまえば実にお気楽なフリーターなわけですけど、私くらいの年齢なら誰しもひとつくらいはこういうものを抱えてたっておかしくはないわけでしょう。そう考えると、年収200万は、まあ、しんどいな。

 

正しくなくても生きてるので生きるのに正しさは必須ではないらしい

私はこんなのらりくらりとした身の上なもんだから、年収200万(とちょい)でそこそこ豊かに暮らしてる(つもりだ)けど、これは世間一般から見た「正しい幸せ」からは程遠いんだろうな。私はときどき自分が感じているささやかな豊かさとは別にこの「正しい幸せ」について思いを巡らすことがあるよ。そうだなあ、例えば、「正しい幸せ」に基づいて生きる私は、れっきとした会社員で、年収が350万くらいあるんだ。もちろんもっとあったっていいぞ。それで、マイカーを持ったり、マイホームを持ったり、マイハズバンドを持ったり、マイハウスホールドを持ったりしてるんだ。それで……それでその先は……ええと……まあとにかく、いい感じにやってるんじゃないかな。そういう「正しい幸せ」に基づいて生きる私を、ときどき考える。幸せには、色々な形があるな。そのお手本みたいなものが、「正しい幸せ」なんだな。「正しい幸せ」に基づいて生きる私は、正しく幸せなのかな。「正しい幸せ」は正しいんだから、幸せなんだろうさ。

 

いつ遊んで暮らせる日がやって来てもいいように遊び方を予習しておく必要があるんだけど遊び方を予習する金がない

もしも私がお金を掃いて捨てるほど持っていたのなら、「これから40年遊んで暮らさなくちゃいけないのか……」ってなったのかな?遊んで暮らしてたら40年なんてあっという間よ。きっと。瞬きしてる間にお迎えが来るわよ。てなわけでひとつ労働とか、どう?働いて暮らしてたら40年なんて……40年なんて、あっという間よ。きっと。