珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

人間についての素朴な疑問をいくつか並べていくだけの覚書|こんなんだから人間初心者から抜け出せないんだよな

はじまりの疑問

人間に向いてる人ってどういうタイプの人なんだろう

 

つぎの疑問

人間に向いてる人は……そりゃあ……人間らしく在ることが上手な人よ。人間をやることが上手な人よ。人間の才能がある人よ。それ以外に何があるってのよ。ウーン。なんか前にも全くおんなじような記事を書きませんでしたか?まあいいか。当ブログはだいたいいつもおんなじような記事でお送りします。

 

つぎのつぎの疑問

たいへん理性的で論理的で深く思考することに長けている人こそ、人間の才能がある人?それともたいへん感受性豊かで直感的で広く行動することに長けている人こそ、人間の才能がある人?両方?両方かー。この「両方」は、前者と後者の2人共という意味でもあり、前者と後者を融合させた1人共という意味でもあります。ウーン。これはアレですね、要素を足し算するから迷宮にはまり込むんですね。ここは引き算しなきゃ。質問を変えよう。いったいその人に何が不足していれば、人間の才能に欠けていると言える?

 

つぎのつぎのつぎの疑問

ひとりで生きていくのに必要な全ての知恵と技術がある人と、みんなで生きていくのに必要な全ての知恵と技術がある人とは、どちらがより人間の才能を持っていると言えるのだろう。もうちょっと具体的に言うと、前者は水や食料やとにかくオギャーと生まれてから死ぬまでに必要なありとあらゆるものをオギャーと生まれた時点から死ぬまでのあいだ完全完璧に自前で用意できる人ってことで、後者は……ウーンそうだな、自分を含めた全人類に完全完璧な協業を営ませることが可能でそれにより自分を含めた全人類を共存させることが出来る人ってことにしましょう。スケールがでけえな。スケールがデカすぎてちょっと前者にとっては不利になりますかね?でも前者は生まれた瞬間から完全な自給自足が出来るんですよ。後者は生まれた瞬間は自分じゃ何もできないフツーの赤ちゃんですよ。自分じゃ何もできないフツーの赤ちゃんだけど、他人をして共存共生をさせることにかけては右に出る者はない、ただのすごい一般人です。

 

つぎのつぎのつぎのつぎの疑問

ところでこのブログを読んでいる人類史の観察者がいたら教えて欲しいんですが、これまで地球上にたった一人でも、正解の人間っていましたか?何に照らして正解かって……そりゃなんかの基準ですよ。なんかの。あるんでしょ。基準。なんかこう、正解の人間の基準が。どっかにあるでしょ。基準って言葉が気に食わないなら、お手本でも、模範でも、ひな形でも、亀鑑でも、儀表でも、設計図でも、企画書でも、プロトタイプでも、零号機でも、なんでもいいですよ。とにかくなんかそういうのがあるでしょ?ない?じゃあこの世はいったい何に照らし合わせて人間を作っているんですか?

 

おしまいの疑問

人がある事柄について、「コレコレに関して正解はない」と言っても、それって「『コレコレに関して正解はない』が正解」になっちゃうじゃないですか。正解がないのが正解なら、正解があるのは不正解と。そういう意味じゃない?まあそこはわりとどうでもいいんです。コレコレに関して正解はない、のが正解、という正解もない、のが正解、という正解もなくてとにかくこの世とあの世のどこを探してもぜったいぜったいぜーーーったい正解はない、のが正解。あーもう。しつこい正解は嫌われますよ。まあこんな具合で、どこでも、いつでも、どこまでも、いつまでも、どれほど押し退けても、いくら振り払っても、正解は我々のあとをついて来るじゃないですか。ウン。ぼちぼち字数もいい感じですね。つまり、我々は、「のが正解」という地獄の相の手から永久に逃げられないってことです。

 

 

 

 

 

なんで?