珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

気楽に書いたので気楽に読んでほしい覚書|マトモは真面と書くらしいけど表面でも裏面でもない真面とやらは一体何次元に属するのか誰か教えてください

気楽さが

気楽さがほしい

 

神の生き方だ

子なし車なし借金なし夢なしのフリーターなんてお気楽の権化みたいなものなのに何言ってるんだろう。でもそうじゃねえんだよな。そういうリアルな気楽さじゃなくて、もっとこう……言葉にできないような気楽さが欲しいわけよ?欲しくない?言葉にできないような気楽さ。言語化できないような気楽さ。社会的気楽さ、肉体的気楽さ、物質的気楽さ、現実的気楽さもそれはそれで大変によいんだけど、個人的気楽さ、精神的気楽さ、非物質的気楽さ、非現実的気楽さが、より欲しいわけ。ナニソレ?

 

いつも新品で買え

それらを全て解決してくれそうなものが、この世に存在するにはしますね。一応。私は絶対やりませんが。ほらアレですよ、ドとラとグがつくヤバいやつ。そう、ドグラ・マグラですね。実を言うと私、まだドグラ・マグラを読んだことがありません。なに~~~っ。定期的にブックオフ夢野久作の欄を見るんですけどいつもありません。流石にそろそろ新品で買っちゃってもいい気がしてきました。もう買っちゃってもいいかなァ……新品……って感じです。

 

マトモとかいう一見役に立ちそうでその実あんまり役に立たないやつ

奇書を読んでトランス状態に入るのもある意味アレみたいなものだ。変な本を読んでお気楽になりたいね。果たして変な本を読んでお気楽になれるかは要出典、或いはさらなる研究が必要であるって感じですが。マトモってのはお気楽の反対……とまでは言わないけど、Z軸方向にそこそこ距離のある感じの概念でしょ?まあお気楽な人間がマトモではないとは限らないわな。マトモを併せ持ったお気楽人間はいるだろう。一方、お気楽を併せ持ったマトモ人間は?マトモ人間は……お気楽でいられるんだろうか?マトモ人間本人が「私はお気楽ですよ」と言い張るんならそうなんだろうけど。でもそれ本人が自覚してないだけじゃないの?とも思うね。マトモな人、あなたのお気楽は本当にお気楽ですか?ひょっとするとそれはお気楽ではない何か、或いはお気楽と思い込んでいる何か、さもなくばお気楽と思い込まなきゃやってられない何かではありませんか?少なくともこの世においては。

 

自分はマトモと言い聞かせる必要がある時点で残念ながら

マトモってなんなんだろな。だんだん分かんなくなってきたよ。オモテ面がマトモならマトモ?オモテ面とウラ面がマトモで初めてマトモ?ウラ面という名のナカ面(ナカ面?)がマトモならマトモ?それとも、オモテ面とウラ面どちらもマトモである必要なんかなくて、誰かからマトモと呼ばれさえすればそれでマトモ?果たして……オモテ面とウラ面が揃ってマトモではない人間こそマトモなのか?ウーン。ゲシュタルト崩壊する前にやめよう。エライ。ところで私は自分のことをマトモだなどと豪語する気は……いや、こうやって謙遜してるからマトモです。謙遜してるからマトモなんだという傲慢さを鎧に着て今日も生きています。よろしくお願いします。