珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

有休を消化する義務についての覚書|息を吸う義務の次くらいに役に立つ義務

はい、私はペンです

英語の「I have no idea.」とか「I have nothing to do.」みたいな表現が好きなんですよね。ド直訳すれば「私は無いアイデアを持っています。」「私はすることが無いを持っています。」となるわけですけど。本当に直訳だな。でも、いいと思います。どこがいいかってそりゃあ、持っているというところです。持っているんですよ。無いを。何も持っていないのと、無いを持っているのとじゃ、文字通り持ちようが違うわけです。個人的には、何も持っていない人間よりも、無いを持っている人間になりたいものです。ここは完全に好みの問題ですね。「無いを持っているなんて見苦しい、それなら何も持っていない方がいい」と感じる人もいるでしょうし。私のように「何も持っていないなんてあんまりだ、それよか無いを持っている方がいい」と考える人もいるでしょうし。

 

有と無については無限に考えられますね

shirokuro-044.hatenablog.jp

shirokuro-044.hatenablog.jp

shirokuro-044.hatenablog.jp

過去記事検索したらタイトル被ってるのが出てきて普通に凹んだ

 

左の給料を受け取ったなら右の給料も奪いなさい

過去の自分がこんだけ語ってるならもう特に語ることはない、いや、無い語ることを持っているでしょうし、本当にしょうもない話をしようと思います。労働者が「ユーキューを取る」と発言したとき、今まさにその人の頭の中に思い浮かんでいる漢字は「有給」なのだろうか、それとも「有休」なのだろうかと0.5秒くらい考えて、すぐに自己解決しました。「暇」の略なんだから、「有休」に決まってますよね。「有給」はなにもわざわざ取りに行くようなモンじゃなくて、労働したら勝手に付いてくるモンなんですから。ですよね?そうだと言ってください。「有給」ってのも「給与が有る」を縮めて「有給」なんですから。「給与が有る休暇」、それが有休です。ですから「ユーキューを取る」と発言している労働者の頭の中には、「有休」という漢字がなくちゃいけないんです。間違っても「有給」じゃダメです。どうしてダメかというと、悲しくなるからです。ご飯が食べられて嬉しいとか、ベッドにありつけて嬉しいと言っている人を見ると、悲しくなるでしょう?「有休」で喜ぶのは一般的なことです。一方「有給」で喜んでいる人を見ると、悲しくなってしまいます。しょうもない話おわり。

 

求めずともよい、然るに与えられん

有休の消化義務のお知らせが来た。期限はまだだいぶ先なのだけれど、それを消化する義務があるというだけで得体の知れないゾクゾク感に襲われる。お金を貰って休まなくちゃいけない義務、ですって???ただお金を貰えるだけではなく、ただ休みを貰えるだけではなく、お金を貰った上で、休みまで貰わなくちゃいけないのか。義務として。なんというか……それってすごく……すごい。すごくてすごい。タイムアンドマネーじゃんね。私にもまだまだ権利があるんだなってことを実感する。義務なのに。義務で、権利を感じる。権利はこうやって、義務の中から掘り出すものだったな。「お前にはパンを食べる義務がある」と言われ、引き結んだ口を強引にこじ開けられて空いてもない腹に無理やりパンを詰め込まれているとき、私はどうしようもなく権利を感じるのだ。パンを食べる権利を。それを感じることは義務だ。義務によって権利を感じる義務。そしてそれもまた、権利。

 

ぽつり

私には幸せになる義務があるって胸張って言える人間だったらよかったなあ。