珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

いい天気についての覚書|そろそろ「どこかしらが痛い休暇」とかあってもよくない???どこが痛くても使える休暇

今もあの日のことを思い出すだけで眠たくなるんだよな

人生でいちばん天気がよかった日のこと覚えてる?私は覚えてるよ。確かあれはねえ、小学3年生のある日の午後のことだった。その日の授業はほとんど自習みたいなもので、珍しく誰一人おしゃべりをしない静かな教室で、鉛筆を走らせる音と紙をめくる音、時々椅子を引いたりくしゃみをする音が聞こえるくらいで、それはそれは穏やかなひとときだった。とても天気がよかった。こわいくらい天気がよかった。窓から太陽の光が全力で入ってきて、教室中ぽかぽかだった。教室全体がカーテンの色を透かして黄金色に輝いていた。そんなもんだから、ひとり、またひとりと机に突っ伏して寝始めるわけ。既に1/3くらいが寝てたかな。そのうちどこからともなくクスクス笑いが聞こえてきて、どうしたのだろうと思って顔を上げると、おやまあ、先生まで頬杖ついて寝てるわ。誰かが先生を起こさないようにシーッというジェスチャーをすると、みんなそれに従った。やがてクスクス笑ってた連中も半分くらい寝てしまって、結局起きてるのは教室の中で10人くらいになった。私もその中のひとりだった。無作為抽出もいいところな10人だったが、その時ばかりは長年苦楽を共にした戦友のようであった。授業の終わりを告げるチャイムが鳴るとみんな起きるわけだけど、そのときの「?????」みたいな顔のおかしいことおかしいこと。中でも先生の「?????」みたいな顔は彼らの8倍くらいおかしかった。そんなわけで、あの日が多分、人生でいちばん天気がいい日でした。おしまい。

 

もしもあの日が雨だったらみんな寝てなかっただろうし先生も起きてただろうしただのどうでもいい1日としてきれいさっぱり忘れ去られてたはずなんですよ

いい天気ありきの思い出っていいですよね。書いててぽかぽかしてきました。私の頭の中にある思い出のうち、どのくらいがいい天気の日だったんだろう。思い出はそれなりにあるけれど、その日の天気ってあんまり思い出せないな。晴れてたかもしれないし、曇ってたかもしれないし、雨が降っていたかもしれないし、雪が降っていたかもしれないし……まあなんだ、言ってしまえば、その日の天気なんかどうでもいいわけだ。思い出せないってことは。晴れだろうが曇りだろうが雨だろうが雪だろうがいい思い出はいい思い出のまま。それでいい。でも小学3年生のある日の午後について言えば、絶対にいい天気じゃなきゃいけない。いい天気ありきの思い出なんだ。

 

お腹も空くし

そうそう、なんで急にこんなキレイなことを書き始めたかというと。アー。週末の天気がクソだったからです。一昨日くらいからクソ天気のクソ低気圧のクソ片頭痛の中頭痛薬切らして死にそうだったからこんなことをチマチマ書いて気を紛らわしていました。バッグの中の頭痛薬が切れたから自宅の引き出しの中に入っていた頭痛薬の箱を振ったら音がしなくてねえ。もうねえ。「マ゜」みたいな声が出たね。思い出はいつもキレイだけどそれだけじゃ頭痛は治らないんだよ。

shirokuro-044.hatenablog.jp

 

いい天気への信頼が厚い

私の人生、これから先、目を見張るような思い出なんて生まれっこないでしょうよ。これは一生の思い出になると胸張って言えるような出来事なんて起こりっこないでしょうよ。だからねえ、せめて、天気を覚えておこう。天気を。いい天気の日を覚えておこう。いい天気の日を覚えておけば、その日が思い出になるんだ。すごいことはしなくていい。どこかに行かなくてもいい。誰かに会わなくてもいい。おいしいものを食べなくてもいい。本を1冊読み終えなくてもいい。宝くじに当たらなくてもいい。ただその日がいい天気だったら、それだけでいい思い出だ。びっくりするくらいいい天気の日に、トースト食べて、仕事に行って、帰りにコンビニ寄って、家に帰って、洗い物して、寝ました。それでいいんじゃないかな。いい天気が全てをなんとかしてくれる。そういい天気なら。いい天気ならね。きっと私の頭痛もどうにかしてくれる。

 

やることが多すぎるあまり眠気を催すの、人間の身体ってよくできてるな

今日はただでさえ頭痛で死んでたのにバイト先でやることが多すぎたせいで頭がオシャカになってしまった感ある。寝よ寝よ。外はまだ雨が降っている。明日はいい天気になりますように。