珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

3週間だったり2年半だったり3年弱だったりする覚書|誤差だよ誤差

すぐやって来そうでぜんぜん来ないもの

3週間後

 

でももう2月も後半じゃん

3週間後ってさあ。遠いよね。すぐやって来そうな顔してるわりに来ないよね。その先に待ち受けているのが楽しみなものだった場合特に。ハァ~~~???3週間後~~~???ムリムリ遠すぎそんなん永遠にやって来ない私が生きてる間に来ないわ~~~って思う。小学生の頃は3週間後の遠足とか3週間後の社会科見学とか3週間後の修学旅行とか気が狂いそうだったもん。すぐやって来そうなのにいつまで経ってもやって来ない。すぐやって来そうなのに待てど暮らせどやって来ない。すぐやって来そうなのに指折り数えてやって来ない。それが3週間後。もちろん、実際にはそんなことはない。生きてりゃいつかはやって来る3週間後。じゃあ4週間後、実質1か月後はどうかというと、個人的に1か月後だと長すぎて「1か月後……アハハハッ……ハ………」みたいな諦念の方が勝るから途中でどうでもよくなるんですよね。1か月後なんてまったく身近に感じないの。永遠にやってこない3週間後のその先にあるのが1か月後だから、もはや神の領域なの。だからこう、五感を奪われたりしているうちにいつの間にか背後に現れては去っていくのが1か月後なんですね。

 

すぐ去りそうでぜんぜん去らないもの

3週間

 

人間に人間ヅラすんなって言うようなモンだよそれ

3週間ってさあ。長いよね。すぐ去りそうな顔してるわりに去らないよね。その間に待ち受けているものが苦痛に満ち溢れているものだった場合特に。3週間って……なんかこう……いつまで経ってものさばってる感じしませんか?お前もう帰れよ!!!ってくらいあいつら長居しません?おい3週間!!!まだいんのかよ!!!いい加減にしろよ!!!いつまで3週間ヅラして居座ってるつもりだよ!!!ぶぶづけいかがどす!!!みたいな感じしませんか?私だけ?もちろん、実際にはそんなことはない。生きてりゃいつかは去る3週間。給料日前の3週間ってだいたい心が死んでるんですよ。つまり心が生きてるのは給料日から1週間だけなんですね。いや1週間も生きてないですね。給料日に、銀行に行って、お金をおろすまでは生きてますね。つまり10分くらいの命です。儚いなあ。

 

メロンパン食べてる 死と生を考えながら

いくらやって来なさそうでも生きてりゃいつかはやって来るし、いくら去らなさそうでも生きてりゃいつかは去っていく。そう……死と生ですね!……という高尚な話をしたいわけではなくて。今のバイト先には最低でもあと2年半?3年弱?くらいは居座るつもりですけど、本当に私は2年半ないし3年弱居座るのであろうか?2年半後ないし3年弱後は、本当に私の元にやって来て、2年半ないし3年弱は、本当に私の元から去っていくのであろうか?全然そんな気がしませんね。中学と高校の3年間は今から考えればあっという間だったんですけど、それと概ね同じくらいと仮定して、……私はどうやって中学と高校の3年間をやり過ごしたんでしょう?やり過ごさなきゃという意識もないままにやり過ごしてしまった。なのに今はいくらやり過ごさなきゃと思ってもやり過ごせる気がしない。1日1日がマチ針のようでござる。いくら細っこいマチ針といえど、肌に針を突き立てられて顔を顰めない人間はいないだろう。刺さったそれを抜くことも許されずに2年半ないし3年弱。ハァー、これじゃ千日針だよ。ハリセンボンになっちゃう。

 

とはいえ私もこないだまで18歳だったはずなんですけどね

おかしいなあ

 

既に資金十分で悠々老後に突入する年寄りみたいな心持ちでいる

2年半ないし3年弱経ったら!!!!!……ようやっと安心して働くことができる。ようやっとささやかな贅沢ができる。お金が目標額まで貯まったんだから。あとはそれを減らさないように維持しつつ、貯金は続けるけどそこそこにとどめて、おいしいパン屋さんに毎日通ったりするんだ。ようやっと楽しみのために生きられるんだ。イェイ。2年半後ないし3年弱後、なるべく早くやって来てほしい。2年半ないし3年弱、なるべく早く去ってほしい。私のために。