1回くらい事故っても……バレへんか
車体がすんげえベコベコな車が停まってるなあと思ったら”凹み”じゃなくて”影”だった。車のことは全く分からないので説明が非常に難しいんですけど、ボディのあちこちにデザインとして段差があるんですよ。すんげえたくさんの段差がある。で、段差があるから至る所に影が出来てベコベコ……じゃない、ゴツくて立体的に見えるんですね。近距離からだとすんげえベコベコになってるようにしか見えないんですけど、少し離れて見ると「あっそういうデザインなんだあ」ってなる感じです。正直ベコベコに見えるほどボディに段差入ってる車ってどうなのとは思ったんですけど、私もベコベコに凹んでいるだけのように見えてそれ実は”影”なんだよねェみたいな深みのある人間になりたい。
よく分かる図説


なんかヤだよね
赤の他人が一瞬チラ見した程度じゃあ、それが傷による凹みなのか、敢えてそういうデザインにされたものなのかなんて、判断がつかんのですよ。今回はそれなりにガン見したので「あっそういうデザインなんだあ」という正解に辿り着くことが出来ましたが、あの時ガン見しなければ「これまた随分と豪快にぶつけたモンだなあ」という的外れな感想を抱いたままだったかもしれません。そしてそのまま……あの車とは一生再会することもなく、私の的外れな感想は訂正されることもなく、あの車も私も、生きていくことになったでのしょう。あの車からすれば私は赤の他人だし、私からすればあの車は赤の他車ですけど、なんかそういうのって、嫌ですよね。
目玉の数に合わせて脳の容量を縮小するか脳の容量に合わせて目玉の数を増やすかした方がいいんじゃない?
しかし人生は有限なので、全てのものをガン見する時間なんてありません。生きていれば、毎日たくさんのものを目にしますね。たくさんのものをチラ見して、チラ見したたくさんのものに無意識の判断を下しながら生きていきますね。目にしたたくさんのもの全てをガン見する時間は誰にもないんですから。私は毎日そんなにたくさんのものを目にしたいなんて思いませんから、ごく少しのものを、ガン見して、正解ではなくとも誤ってもいない程度の判断が下せるまでガン見して、やっていきたいなあなんて思うものです。そうはいかないんですけどね。ガッハッハ。
それはそれとして壁の穴は修理してくれ
我々が傷だと思っているものは実はそういうデザインなのかもしれないし、そういうデザインだと思っているものは実は傷なのかもしれません。チラ見した程度じゃ分からんのです。今日、店内のPOPがめちゃくちゃ微妙な位置に貼ってあるのが気になって、真ん中に貼りなおそうと思って剥がしたら、POPの下から壁の穴が出てきました。めちゃくちゃ微妙な位置に貼ってあることにも意味があったんです。私は再びめちゃくちゃ微妙な位置にPOPを貼り直しました。めちゃくちゃ微妙な位置に貼ってあるPOPは、めちゃくちゃ微妙な位置に貼ってあるが故に外観を損ないますから、一見すると傷です。しかしながら、めちゃくちゃ微妙な位置に貼ってあるPOPをガン見して分かったことは、それは実のところ傷ではなく、壁の穴を隠すという重大な役割を与えられた、そういうデザインだったんです。
