珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

言葉のストックを増やす試みについての覚書5|聖アウグスティヌス『告白(上)』より~その1~

今この瞬間だけでも、何をも恐れずものを言うことが許されるのならば、以下のように主張したい。聖アウグスティヌスの著書『告白』は、世界で1番大真面目に書かれた痛快度トップクラスの自虐エッセイと評せるのではなかろうか。前半部分が、大体そんな感じなのである。今から1600年前の聖人がよもや、現代の我々の中で「不良」「ヤンキー」と呼ばれるような少年たちと何一つ変わらない若者時代を過ごしていただなんて信じられるだろうか?思わず小さな笑いがこみ上げてしまうほどに。結局人間は、4世紀から、いやそれより遥かに昔から今までずっとこうなのだ!安心した!まだ私に何をも恐れずものを言う権利が残っているならば、もう一度だけ言わせて欲しい。若い頃の聖アウグスティヌス絵に描いたようなヤリ●ンのクソガキである。

ユピテル(Jup(p)iter)

〔英語読みは「ジュピター」〕 ① ○ ローマの三主神の一。元来天空の神で気象現象をつかさどる。また正義・徳・戦勝の神で法の守護者。カピトリヌスの丘の大神ユピテル神殿に妃ユーノー・娘ミネルバとともに国家神としてまつられ、執政官の就任や将軍の凱旋など重要な国事には常に参拝された。のちギリシャ神話のゼウスと同一視されるにいたる。ジュピテル。

木星

三省堂大辞林 第三版』

 かの有名な「我が子を食らうサトゥルヌス」、そのサトゥルヌスの子にあたるそうです。ちなみにユピテル(ゼウス)は母親の機転によってなんとかサトゥルヌスに喰われずに済んだそう。ユピテル→ジュピター、サトゥルヌス→サターンです。ちなみにセーラームーンではセーラーサターンが1番好きでした。今見ても、何度見ても、何もかもが最高だと思います。話としては、亜美ちゃんがちょっとエッチなことになる回が1番好きでした。私はどうして口調が変わっているのでしょう?分かりません。強いて理由を付けるならば、これから怖い絵を載せるからです。

 

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左がルーベンス、右がゴヤ

驟雨(しゅうう)

急に降り出し、強弱の激しい変化を繰り返しながら、急に降り止む雨。前線または雷雨に伴われたものが多い。にわか雨。夕立。

三省堂大辞林 第三版』

さて、私はこの「驟」の字が読めなかったため調べることにした。「馬」に「聚」。ここで「聚」の字も分からなければ、私は非常な遠回りを強いられるか、観念して手書きパッドを開いたことだろう。ところが私は日本史好きだったので豊臣秀吉が造った邸宅である「聚楽第」の「聚」であるとひと目で分かった。そうして検索欄に「馬に聚」と入力し「驟」へとたどり着いたのである。学びの連鎖とは、こういうことなのですね。……違う?

韻文(いんぶん)

韻律や押韻といった一定の規律に従って書かれた言語表現のことで,散文 proseと対置される。英語の verseやフランス語の versはラテン語の versus (回転) を語源とし,同じリズムの繰返し・回帰という性質を表わす。口承時代には記憶しやすいために歴史的,宗教的叙述にも韻文が用いられたが,文字が用いられるようになると,そのような規則性は主として詩に限られるようになり,詩 poetryと同義とされたこともあるが,散文詩といった言葉からもわかるとおり,詩は韻文で書かれるとはかぎらないし,韻文だからといって詩とはいえない。

ブリタニカ・ジャパン『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』

詩の翻訳って死ぬ程大変そう。

散文(さんぶん)

文章形式の一つ。形式的には,韻律をもたない点で韻文と対比される。主として簡明で理性ないし事実に即した内容をもち,この点で詩と対比されるが,詩的内容をもった散文もあるので,両者の区別は必ずしも明確でない。修辞よりも意味が重視され,文法的な正確さが要求される。したがって通常の会話は散文とはいえない。ギリシアでもローマでも,散文は歴史,地誌,哲学など主として非純文学的な内容をもつものに用いられた。ギリシアではヘロドトス,ツキジデス,プラトンアリストテレス,ローマではキケロカエサル,リウィウスなどが代表的散文家である。イギリスやフランスでは散文はまず法律文書に用いられ,次いで年代記旅行記,さらに聖書の翻訳や説教書などにも用いられるようになった。ルネサンス期に入ると,文学にも使われはじめ,ラブレーの『ガルガンチュアとパンタグリュエル』,T.モアの『ユートピア』などの作品が現れた。劇はもとは韻文で書かれるのを原則とし,散文は下層階級の人物,道化,狂人など,通常の規範からはずれた人物のせりふに限られていたが,18世紀以後,まず喜劇が,次いで悲劇が,散文のみで書かれることが多くなった。一方,散文による文学論やエッセーなどの形式も 17世紀から盛んになり,モンテーニュらがすぐれた作品を残した。しかし,散文と最も密接に結びついた文学形式は,18世紀以後に急激に発展した小説である。現代では詩の多くが韻文で書かれているのを除けば,内容が文学的であるか否かを問わず,あらゆる文章表現は散文の形をとるのが通例である。

ブリタニカ・ジャパン『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』

 ブログの文章は散文である。私の書く文章も言うまでもなく散文である。とはいえ(こう見えても)文のリズム感には(こう見えても)めっぽう敏感で、(こう見えても)一度書いた文章を脳で読み上げて、「リズムがおかしい」と思ったら、(こう見えても)余念なくリズムを整える。今も、「リズムを整えることに余念がない」と書いたのを脳内で読み上げて、「リズムがおかしい」と思ったので、「余念なくリズムを整える」と修正した次第である。「整えること」という部分は舌がテロテロして気持ち悪い。後者のほうが気持ちリズミカルではなかろうか。そうでもない?そうか。

容色(ようしょく)

顔かたち。器量きりよう。とくに、女性の顔かたちの美しさ。 「 -が衰える」

三省堂大辞林 第三版』

「容姿」という言葉に飽きたらこっちも使ってみよう。

火口(ほくち)

火打石で火をおこすとき,最初に火を燃上がらせるために用いる物。イグチの類,サルノコシカケ類などのキノコのある種の子実体や菌糸の塊をよく乾燥させたものや,アサなどの繊維,ガマの穂などをよく解きほぐしたものが用いられる。

ブリタニカ・ジャパン『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』

火をおこすとき、最初に火を燃上がらせるために用いる物。ツイートはよく燃える。

瀝青(れきせい)

天然のアスファルト・タール・ピッチなど、黒色の粘着性のある物質の総称。また、石炭を加圧下でベンゼンを用いて抽出したときの抽出物。チャン。ビチューメン。ビチューム。

小学館デジタル大辞泉

「黒色の」粘着性のある物質の総称なのに「青」なんだな。深い青は黒に見えたり、ツヤツヤした黒に光を当てると青に見えたりすることはあるけれども。

マニ教(まにきょう)

《Mani》3世紀にペルシアのマニが創唱した宗教。ゾロアスター教を母体とし、キリスト教・仏教の諸要素を取り入れて、光(善)と闇(やみ)(悪)の二元論的世界観を根本に、禁欲的実践による救済を説く。4世紀を最盛期として西アジアローマ帝国に広まり、6世紀以後はペルシア東部からチベット・中国(唐)など東方に広まったが、13~14世紀に急速に衰えた。中国では摩尼祆教(まにけんきょう)とよばれた。 [補説]「摩尼教」とも書く。

小学館デジタル大辞泉

よく知らない宗教について私から色々言えることは無いので、取り敢えず参考になりそうなページを貼らせて頂く。高校の頃は世界史を履修していた筈なのだが、キリスト教のかつての最大のライバルがマニ教とは知らなんだ。それも信仰上の対立などではなく、重なり合う(勝手に重ねているだけとも言える)存在だからこそのライバル。

www.ozawa-katsuhiko.com

追:ストックしていたこの記事を公開しようとしたら上記のページが見れなくなっていたので他のサイトを載せる。上のページも一応残しておく。

www.y-history.net

 

謎のメモ:67 52 50 70 100 151 

 

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