雑誌を妄想してみた件についての覚書|結局石油王になるしかねえんだわ
やわらか精神に雑誌が突き刺さる
雑誌を買わなくなって久しい。雑誌というものは大抵、「よき人」「よきモノ」「よき動物」「よき懐事情」「よき暮らし」「よき仕事」「よき習慣」などを載せている。それらの「よきもの」を見るのが辛くて、買わなくなった……ということは以前からちょくちょく記事中に書いている。「よきもの」に乏しい雑誌なんて、大した需要もなかろう。とはいえ、元々雑誌中毒者だ。大学時代は色んな分野の雑誌を月に5冊とか6冊とか買っていた。中学や高校時代にも少ない小遣いからファッション誌を複数冊購入していた。小学生の頃は今は無き『科学と学習』や『小学●年生』を定期購読していた。幼稚園の頃も、付録付きの雑誌をしょっちゅう買ってもらっていたと思う。年季の入った雑誌ジャンキーと言えよう。
最近改めて思う。雑誌が読みたい。けれど自分よりキラキラしている人や、自分には到底手に届かないモノや暮らし、自分には成し遂げられないバリバリの習慣など、あんまり見たくはない。我儘な奴だ。通勤中に考える。今の私が読みたい雑誌って、一体なんだろう。
たぶんこんなのが読みたい
●月刊『命が危うい』
本誌のターゲット層。睡眠時間が毎日4時間を切っている。休日が無い。ストレスがヤバい。甘いお菓子や激辛食品が止められない。カフェインが無いと生きていけない。栄養ドリンクに依存している。エナジードリンク中毒である。3食カロリーメイト。時々胸が痛い。胃も痛い。帰宅即気絶。でもまあいっか。確実に寿命を縮めているけれどそんなに気にしてない人たちに向けた、月刊『命が危うい』。
内容は何だろうな。少なくとも命を危うくしないための記事ではなかろう。むしろ「35歳である日ポックリ絶命する方法」とか「寿命を縮める食品はこれだ」とか「編集部おすすめ!寿命の縮まる最恐アトラクション」とか「確実に呪いを持ち帰れる心霊スポット」とか……酷いアンダーグラウンドだ。ちなみに労働をしたことのある人間の99%が150年以内に死亡しています。労働は恐ろしいですね。
●季刊『表紙マガジン』
タイトルそのまま、エモい表紙の本をひたすら紹介したマガジン。流石に本の表紙を見てダメージを受けたり本の表紙を自分の人生と比較するほど弱ってはいない。軽率に表紙買いをしてしまうタイプなので、たまらん表紙のものをどんどん紹介して欲しい。積ん読本が増えること請け合い。読書家の有名人が紹介する「わたしのおすすめ」みたいなコンテンツは要らない。ただいい感じの表紙の本をズラッと並べてくれるだけでいい。
大分前に、「表紙買い過激派でかつ内容にもかなりこだわりのある自分の好みに合う文芸書はなかなか見つからない」といった旨のことを書いた気がするのだが、先月末にブックオフに行ったところ、あった。3冊も。しかも全て108円~216円棚の中から、ものの10分程度で見つかった。世の中本当「ある時はあるし無い時は無い」。これに尽きる。無い時にいくら探しても無いものは無いが、ある時に探せばポロポロポロポロ出てくる。それで、それがこの3冊。
左の本は完全にタイトルが飛んでしまっているが、須藤元気氏の『神はテーブルクロス』。白、白+黒、黒でいい感じに揃った。ちなみに現在は右の『パピヨン』を読んでいる。めちゃくちゃ面白い。語彙力がないので書評は「めちゃくちゃ面白い」くらいしか出来ないのだが、とにかく良い作品。読み終わったらまた何か書くかもしれない。「めちゃくちゃ面白かった」とか。
●月刊『そのへんの石』
編集部が撮影したり、読者から送られてくる「そのへんの石」の写真を掲載する雑誌。8割が「そのへんの石」の写真で埋め尽くされており、残りは「そのへんの石」に関する小説やエッセイ、「そのへんの石」についての雑学、「そのへんの石」の撮影テク、「そのへんの石」占い、石材や墓石の広告など。
私は子供の頃とにかく石が好きで、親にねだって結構本格的な鉱物図鑑を買ってもらい、休日には少し遠出して父親と一緒に山の中で鉱物採集をしたりしていた。キレイな宝石よりも、花崗岩、玄武岩、安山岩、そういう岩の方に興味があった。自治体か何かが主催している歴史系フィールドワークにも参加して、黒曜石を掘ったり、化石を掘ったりもしていた。その影響で一時期妙に恐竜に凝っており、博物館にも行った。それも小学生中学年までで、高学年になると「女なのにこんなことして恥ずかしい」みたいな躊躇いが生まれ、鉱物採集も恐竜研究もぱったりやらなくなった。とはいえ高学年になってももうひとつの趣味であるデュエルマスターズは続けてたし、とにかくそういう少年のような子供時代を送ったのである。それらの趣味趣向は将来に持ち越され、大学では地面を掘ることと関係のある分野……のすぐお隣さんの分野を専攻したし、何故か20歳近くなって遊戯王にドハマりした。魂百。
●週刊『顔がいい』
「よき人」を見たくないのではなかったのか?と言われそうだが、顔のよき人のよき顔はよきと思う。取り敢えず顔だけ見せてくれ。文章を一切省いた芸能雑誌みたいなものか。それってただの写真集では。
文芸誌というものを買ってみたい
マイナーな、というと失礼だが、街中の大きなTSUTAYAくらいでしか見かけない雑誌の類は本当にそそる。文学ムック『たべるのがおそい』とか特に最高だ、いつか買ってみよう……と思っていたのだが今年の4月で終刊したらしい。
あとは……「MONKEY」とか。
「いつか買う」は危険。
しかしこれほどのインターネット時代、小説だって随筆だってコラムだって幾らかはお金を出さずに読めてしまう、しかも電子書籍というものすら存在する、そんな時代に大手出版社から発行されている以外の、いや大手出版社から発行されているものも含めて、文芸誌は生き残れるのだろうか。
『たべるのがおそい』、めちゃくちゃ凄いことを成し遂げている。それだけにいっそう終刊が惜しい。バックナンバー購入するだけの価値はあるだろう。
大手出版社がいつまで文芸のパトロン(文芸誌は基本的に採算のとれない出版物である)でありつづけるかわからない以上、
この部分がなんとなく突き刺さったので。文芸にはパトロンが必要。古来から芸術はパトロンを必要としている。絵画然り、音楽然り。かれども文芸は、絵画や音楽のように一瞬でパッと目を引く華々しいものではない。現代においても絵画や音楽の「バズりやすさ」と比較し、文芸におけるそれのなんと難しいことか。何よりもパトロンを必要としているが故に、そういったものと関係が依存しやすい。場合によってはパトロンの気分ひとつ……
懐かしのサークル募集
「理想の雑誌が無いから俺たちで作っちまえ」とばかりに作られた、同人感のある雑誌。実によきものである。それで思い出した。昔は同人を扱う雑誌上で文芸サークルやイラストサークルのメンバー募集がよく出ていたものだが、今はああいうものは無いのだろうか。ブログもあればTwitterもあり、Pixivもある時代に、作品を封筒に入れて主催に送り、主催がそれをまとめて定期的に会誌として発行する……なんてアナログなサークルが廃れていくのは必然の流れだろう。1度くらいどこかのサークルに籍を置いておけばよかったなと、それこそ10年以上前の、あったようななかったようなサークルメンバー募集のページを思い出して、今日もまた色々と思索に励むのである。