珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

思考の詰まりとその解消法についての覚書|高粘度ジェルで不安も悩みもスッキリ解決とはいかないので

8時間寝たら帰ってきた

死んでいた。もうなんか、とにかく、なにもかも、私を動かす何もかも、大元の動力さえ稼働停止に陥って、掃除どころではなく、洗濯どころではなく、部屋の片付けどころではなく、読書どころではなく、ましてブログ更新どころでもなく、数日は留守にする心持ちであった……のだが、電気を消して8時間ぐっすり寝たら再稼働した。昨晩私は日付が変わる前にきちんと記事を投稿したので継続日数は守られていますいいね?

Twitterという思考の洗浄ノズル

生身の人間相手に思考を吐き出すことが叶わない場合、定期的にそれを文章に起こして排出しなければ、すぐに詰まりを起こして思考パイプが破裂してしまうと思っているのだけど、どうなのだろう。それを考えれば、Twitterは思考パイプが詰まりがちな人間にとっての救世主だったと言っても過言ではあるまい。思考に限らず、何気ない感情ひとつにしてみてもそうだ。自室で宙に向かって「つかれた」と言うのと、Twitterで全世界に向かって「つかれた」と言うのでは、スケールが圧倒的に違うのだ。全世界に向かって発信している。全世界に向かって「つかれた」と主張する権利が自分にはある。これまで自室の壁や床や天井に飲み込まれてそれで終いだったはずの言葉が、全世界に向かって羽ばたいている。Twitterはよいものだ。自分のタイムラインが、ひたすら自分にとってよいものだけで構成されているうちは!

梅雨時の汚い川みたいな

世間で「気にしすぎ」「考えすぎ」「心配性」などと呼ばれるタイプの人間は、この思考パイプが元々狭いか、これまでの人生で溜まった思考の汚れがパイプの内側にびっしりこびり付いて、スムーズな排出を阻害しているのだろう。一定時間思考を流し続けていると、所々にある濾過フィルターで思考の余計な部分が濾されていき、人によって所要時間に差はあるものの「まあ、これでいっか」「なんとかなるか」「考えていても仕方がないか」「ええいままよ」などという結論に落ち着くものである。そういった結論に落ち着いてくれないと困る。人間の頭の容量は無限ではない。そして人生とは目まぐるしいので、結論が出ないうちにまた心配事が増える。待ってましたとばかりにダムから放水が始まる。この水は汚水である。狭いパイプの中を水が押し合いへし合い、健康な人間にはきちんと備わっている濾過フィルターをぶっ壊しながら進み、濾過されない汚水は汚水のまま延々と思考パイプの中を走り抜けて、朝が来て夜が来てまた朝が来て夜が来てまたまた朝が来てまたまた夜が来て……発狂エンドを迎えたら、そこでゲームオーバーである。

思考の詰まりを予防する4つのステップ(こう書くとそれっぽい)

思考が詰まらないようにするためには、「分岐ノズルを付けて外部に放出する」「思考パイプの内側の汚れを落とす」「濾過フィルターを増やす」「思考パイプを補強拡張する」などの処置が必要になる。

1番目の「分岐ノズルを付けて外部に放出する」というのは、他人に相談したりSNSで吐き出すなどして予め流れる思考の体積を削っておくことである。なんやかんやでこの初期対処こそが最も肝心だったりする。インターネットが発達した今では手段も沢山あることだし、軽く出来るものは軽くしておこう。

2番目の「思考パイプの内側の汚れを落とす」には、パイプユニッシュでもパイプマンでもパイプハイターでもいいけれど、とにかく過去のモヤモヤを可能な限り迅速に精算してしまうこと。そのために自分は今何を気にしているのか、ということをしっかり把握する。紙に書き出すのが1番よかろう。これの何が大変かというと、そうやって洗い出した悩みの1つ1つを改めて思考パイプに流していかねばならないからである。思考の詰まりを解決するのに、ともすれば詰まりの原因にもなる思考を更に流さなければならないのだ。詰まりが加速しそう。下手すれば今よりも詰まりが悪化するかもしれない。むしろその可能性の方が大だ。でもやらなければならない。精神分析だったか、なんかトラウマ治療にそういうのがあったはず。自分1人では到底間に合わないほど重篤な汚れなら、プロに依頼するのが吉である。もちろん水道管業者ではなく、医者やカウンセラーに依頼しよう。暮らし安心と銘打った業者も、思考パイプの内側の汚れとなると専門外だろうから。

3番目の「濾過フィルターを増やす」。同等の悩みでも10分悩んで「●●にしよう」とか「まあいっか!」と結論付けられる人と、1週間悩んでもまだ悩み足りない人との違いは、このフィルターの量と質にあると思う。フィルターの正体は「これは大丈夫」「これもなんとかなる」という根拠のない確信……という言い方ではあんまりなのでもっと良い言葉に置き換えるならば、「無条件の肯定」。それが自分の中にあるかどうか。よく「自己肯定感」とか言われるアレと同一のものと見て差し支えなかろう。自分の能力を過度に低く見積もっているから、そこから様々なものが飛び出してしまうのだ。その飛び出したものが、悩みの枝葉となって更に自分を押しつぶしてしまうのだ。まあ、自分の能力を過度に高く見積もるのも、それはそれでよくないけども。1つの悩みが延々拡大して行き場を失うのは、ある悩みに対して「もしXXだったら」「もしそこからYYになったら」「さらにZZが起こったりでもしたら」と、発生するかも分からないイフの枝を次々に生やしていくことが原因であって、思考の詰まりを予防するにはそういった枝を生やさない、つまり悩みに悩みを生やさない努力が必要だろう。ある日、何か気がかりになることが発生したが、終わってみたら結局なんともなかった。そういった経験をしたら、すかさずメモに残しておこう。日常で「結局なんともなかった」という事例は案外多い。そうした経験を自分の中にきちんと保存出来ない人が、日々思考の詰まりに苦しむのである。

4番目の「思考パイプを補強拡張する」は……ここまで来るとメンタル強度の問題になる。補強拡張工事をしたい人は、それに相応しい自己啓発本を見つけ実践してください。大量のタスクを1人で冷静に捌ける人や、何やら重大で深遠な問題について毎日毎日延々考えていてもケロッとしている人は、思考パイプがめちゃくちゃ頑丈な人と見てよいだろう。前者の人は思考パイプがパイプというよりも片側4車線道路のようになっていて、次々やってくる思考をハイあなたはここ、ハイあなたはここ、と自動的に適切な車線に振り分ける作業を無意識に行っている。すげー。聖徳太子は片側10車線道路の持ち主だったのでしょう。後者は哲学者です。以上。

見つけてほしいよ私のやる気スイッチ

冒頭で「8時間ぐっすり寝たら再稼働した」と書いたが、厳密には少し違う。「8時間ぐっすり寝て起きたもののその後しばらくは『うええなんもできねえよお』と寝っ転がっていたがトイレ行ってコーヒー飲んでブログの管理画面を開いたら再稼働した」である。私のやる気スイッチは、トイレか、コーヒーか、ブログの管理画面にあるというわけだ。さて、どこだろうな。

 

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