珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

ろうどうポケモン改めろうどうモン娘についての覚書|やっぱり人外がナンバーワン

オロロロロロロロロ

ただし、もしたとえばブルジョアがプロレタリアにむかって、かれプロレタリアには毎日十四時間の労働をする人間的任務があるという訓戒をかかげるならば、プロレタリアがおなじ用語でこたえるのはまったく当然である――自分の任務はむしろブルジョア支配全体をうちたおすことなのだ、と。

中世では享楽は完全に分類されていた。それぞれの身分がその特殊な享楽とその特殊な享楽方式をもっていた。ブルジョアジーのもとではすでに労働と享楽との分裂が存在して、享楽は労働に従属させられたのに、貴族はもっぱら享楽する特権をもつ身分だった。農奴<のかぎられた享楽>、すなわちもっぱら労働することにきめられたこの階級は、きわめてわずかのかぎられた享楽しかもたなかった、そしてこれらの享楽は<労働のかたわら>むしろ偶然的にかれらにめぐまれかれらの主人の気分やそのほかの偶然的な事情に左右されたのであって、ほとんど問題になりえない。

ヴォエ

 

やっぱりろうどうポケモンじゃないか

ほんの数百年前まで、大多数の人間が労働 のための・・・・ 生き物であった。中高生の頃にひとつの知識として教科書で読むのと、実際に自分が労働する生き物になってから読むとのでは、やはり字面の重みが全然違うな。後世の価値観でそれ以前の歴史を測るもんじゃないと分かっちゃいるが、それでもやはり、マトモな享楽(どころかマトモな生活さえ)もなしに毎日毎日14時間労働なんて、やってらんないよ。今となっては、もしも私が「労働 のための・・・・ 生き物」を自称しようものなら、どこからともなく慈愛の光がすっ飛んできて、享楽の権利、休息の権利、選択の権利、抵抗の権利などを次々と並べ、「あなたは労働 のための・・・・ 生き物などではありません、あくまで労働する生き物なのです」と説き、私をぶん殴って気絶させて時にはその生命をまるごと奪ってでも、私が労働 のための・・・・ 生き物ではないことを保証してくれるんだもの。

shirokuro-044.hatenablog.jp

 

やっぱりポケモンじゃないか

しかしながら、そんな慈愛の光の努力も虚しく、自らろうどうポケモンに甘んじているような点があるのは否めない。気楽にやっていこうと思えばやれる世の中で、これといった楽しみも持たずに、一体何をやっているんだろう。その気楽だって、単に文字通り気を楽にしてダラッとやる気楽もあれば、ガチでもぎ取りに行くタイプの気楽だってあるわけじゃないか。要するに、好きな塩梅で気楽をやることが出来るのだ。やろうと思えば。ところで、シオンタウンの件など一部例外を除けば、ポケモンは基本的にゲーム中で死ぬことはない。「ひんし」になるだけだ。現代の人間も一部例外を除けば(!)、基本的に労働中に死ぬことはなく、「ひんし」になるだけである。三途の川と自宅の風呂を往復して、ひんしと回復を繰り返し、繰り返し、繰り返し……

 

やっぱりモンスターじゃないか

私というろうどうポケモンがしんかしたら、一体何ポケモンになるのかな?働くことくらいしかやることがなく、楽しみもやり甲斐も一切ない時給制単純労働を繰り返して行き着いた先の私は何モン なのかな?バケモンかな?同年代の人たちが、タウリンブロムヘキシンを惜しげもなくたんまり与えられて、努力値が稼げるフィールドに積極的に駆り出されて、ジムに挑戦したりバトルタワーで己を研鑽したりしているときに、私はいつまでトキワのもりでキャタピービードルを相手に戦っているつもりなんだろう。もしかすると将来、「トキワのもりでむしポケモンを何十年も狩り続けている変わった奴がいるらしい」と噂が立つ日が来るやもしれぬが、その時こそ私が正真正銘のバケモンに成り果てる瞬間であろうよ。おっとポケモントレーナーではない人間に不親切な話ばかり続けてしまったな。私は別にろうどうポケモンとして生涯を終えようがろうどうバケモンとして生涯を終えようがどちらでも構わないのだ。肩書きがあるだけでも有り難い。

 

やっぱりモン娘でいこう

いや待て、アレがあるじゃないか。そうだ、これからの時代はモン娘だ。モンスター娘だ。もう「娘」なんて年齢じゃないでしょとかそんな細かいことはどうでもよいのだ。ろうどうモン娘。その肉体のすべては労働で出来ていて、彼女にとって労働とは食事や睡眠に等しく、隙あらばだらだらと安っぽい労働を貪っており、その姿は「怠惰に勤勉」とも「勤勉に怠惰」とも評されるが、活動量の割には非常にだらしない体型をしている。よしこれでいこう。ところで明日は給料日だ。ろうどうモン娘にとっては、己の存在が肯定される唯一の日である。それ以外のあらゆる全てが自分を否定しても、給料日だけは自分を肯定してくれるのだ。だから彼女は給料日が大好きだ。ひと月にたったの一ぺん、いち年にたったの十二へん、それさえあれば、彼女にとっては十分なのだ。

 

 

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