珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

疲労についての雑多な覚書|疲労コンパイル

疲労コンセントレイト

ウウ。去年の3月頃に買ったと思われる180錠入りの栄養剤を飲みきった。ドラッグストアに置いてある、なんかよくわからんメーカーのなんかよくわからん安いやつだ。明らかにキューピーコーワゴールドを意識している。180錠入りだから(どうせ)半年程度で飲みきるだろうと想定していたが、案外持った。10ヶ月だ。疲れているときに飲んで、10ヶ月。そのうち飲まなかった日が4ヶ月分ある。果たしてこの10ヶ月、疲れていない日などあっただろうか、いやない。毎日疲れていたのだから、毎日飲めばよかったものを。疲れのあまり栄養剤の存在すら忘れていたということだろうか。もうしそうだとすればなんとまあ悲惨なことよ。戸棚に同じく3月に購入したもう1瓶、こちらは別の商品で220錠入りだが、があるのでそちらを開ける。220錠かあ。毎日飲んで7ヶ月と少々分だなあ。とするとこれもまた、1年くらいで飲みきることになるのかな?それとも7ヶ月と少々で飲みきってしまうかな?それとも、3ヶ月くらいで飲みきってしまうかな?

 

疲労コンバイン

肉体の疲労と精神の疲労が結合したものを、一体なんと呼び表せばよいのだろう。疲労疲労でいいかな?疲労でいいです。疲れているのであまり深く考えないようにしよう。連想類語辞典疲労の類語を調べていたら、もうそれだけで疲れてきた。疲労と関連した言葉が画面いっぱいに表示される。それを眺めているだけで疲労困憊よ。

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こんなん眺めてるだけで息が上がってくるでしょう。人が疲労を感じた時に使う言葉がこんなにあるの、つくづく人って可哀想な生き物だなあって感じがしますね。あと右下の賢者タイムの存在感がすごい。それはちょっと違うのでは。ああいや、肉体の疲労と精神の疲労の結合という意味では、まさに適当な言葉かもしれないが。むしろ精神の疲労の方が大きいんじゃないですかね。

 

疲労コンファウンド

休みの日は、今日が休みの日という認識を抱いているだけで謎の回復ボーナスが付与されるせいで、自分の疲労具合を正しく認識できなくなり、本来十分に休まなければならないはずなのに色々しようとして、疲れが十分取れていない状態で再び労働を迎える羽目になったりするから、休みの日は誰か私からパソコンもスマホも本も取り上げて、ベッドに縛り付けて、ひたすらグースカ寝ているように監視しておいてほしい。最近ではそこまで色々しようとすることはないが、ちょっと気分がいいと、ついつい色々しようとしてしまう。平日には「こんなに疲れているんだから休みになったら特別なことは一切何もせず存分に休養を摂るんだ」とそれしか考えられなかったくせに、休みの日になると、どうしてああも色々しようとするんでしょう。人間って、不思議だね。

 

疲労コントラリー

新しく卸した栄養剤のパッケージには「疲れがたまった時」「元気がないと感じた時」とある。これらは同じものではないのか。これらは異なる状況なのか。疲れがたまっているけど元気はあるとか、疲れているわけではないけど元気がないとか、そういう場合があるのか。まあ確かに、体はヘロヘロだけど気持ちは元気とか、体は元気だけど気持ちがヘロヘロしているとか、そういうことはあるかもしれない。肉体の疲労さえ治ればそれにつられて精神も多少元気になるとか、精神の疲労さえ治ればそれにつられて肉体も多少元気になるとか、そういうこともあるかもしれない。肉体さえ元気ならば持ち直せる人とか、精神さえ元気ならば持ち直せる人とか、色々なタイプがあるかもしれない。逆に、肉体と精神の元気が立派に揃ってようやく「元気」になれる人とか、肉体と精神の元気が立派に揃ってもなお「元気」になれない人とか、いるかもしれない。人生色々、疲労も色々。

 

疲労コンジェスチョン

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