珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

平凡なコンテンツという生き方についての覚書|来世は「コンテンツそのもの」に生まれたいね

人は才能が9割

向上心は人一倍強いのだが秀でた才もなく、センスもなく、カリスマもなく、どうにも面白くない人がいる。そういう人はその面白くなさ故に独特の面白さを帯びている点がなんとも難儀である。一方で、当人は向上心のカケラも持ち合わせていないのだが不思議な才があり、独特のセンスがあり、謎のカリスマがあり、どうにも面白い人がいる。つまり、個々人を人としてというよりむしろコンテンツとして見てみれば、現実世界での陰陽や当人のやる気はさほど問題ではなく、またこれは何に対しても言えることだが、面白いコンテンツとしてやっていくにも向き不向きが有り、ただ生きているだけで面白いコンテンツになれる人間と、必死に頑張っても面白いコンテンツになれない人間がいるということである。が、先程も述べたように後者は「面白いコンテンツになれない」という残念な性質でもってある種のコンテンツになりうるので、難儀ながらワンチャン狙えるというわけだ。難儀ながら。

すごい(こなみ)

……などということを書いて下書き保存したその晩、私がこの記事で結論にしようと思っていたことをそのまんま記事タイトルにしているはてなブログエントリーを発見して吃驚仰天した。投稿日時も私がこのネタを考えていたのとほぼ同時期である。しかし投稿は向こうの方が先であるためあたかもパクリ記事のようになってしまうではないか。見なかったことにしてその場を立ち去ればいいものの、いつもの癖で律儀にスターをぽいぽい投げてしまったので見なかったことにも出来なくなった。幸いにして、記事本文は私の言わんとしていることとは毛色の違うものだったので、少しばかりこちらの結論を修正し、このまま記事を続けることにする。

コンテンツになること自体は簡単なんだけどなあ

最初の段落では「面白い」コンテンツになるには向き不向きがあると述べたが、取り立てて秀でた面白さを要求されない「平凡な」コンテンツに関して言えば、万人に可能性がある。もしもあなたが承認や肯定感を欲しており、しかし現実で人として何かを成せそうにもないのなら、現実以外の場所でコンテンツとしてやっていくのが1番よかろう。Twitterで、Instagramで、はてなブログで、noteで、youtubeで、ニコニコ動画で、Pixivで、小説家になろうで、とにかく場所はどこでもいいので自分をコンテンツとして陳列できそうな屋台を探して出店するのである。動画制作や絵のような技能を必要とする創作は別としても、大抵の場合はそこに自分を並べておくだけで「平凡な」コンテンツにはなれるし、運が良ければ「面白い」コンテンツになれる。少なくとも、私がこれまでTwitterでフォローしてきた大勢の人達の中に、コンテンツでない人はいなかった。というかTwitterでコンテンツになれない人の方が稀有な存在だと思う。はてなブログを構えている人はほぼ間違いなくコンテンツになれるだろう。読者が1人以上いるか、これまでにスターを1個以上投げられたことがあるのなら、あなたのブログ、ひいてはあなた自身は、十分すぎるほど立派なコンテンツである。

現実のハードルの高さ

黙って読んでいれば人をコンテンツ呼ばわりとは何様だと思われた方もいるかもしれない。ここで憤慨できる人は幸いである。コンテンツにならなくても生きていけるからである。私のように現実ではなんの特徴もなく才もなくユーモアもセンスもないクソ陰キャは、現実ではない場所でコンテンツとして生きていかなければ自己満足不足で死んでしまうのだ。一生「平凡な」コンテンツ止まりであろうとも、コンテンツにもなれないよりはずっとずっとマシだ。現実で「友達を作ろう」とか「習い事をしよう」などという考えは露ほども浮かばないが、現実ではないところで「動画制作に手を出してみようかなあ」とか「おもしろツイッタラーになるにはどうすればいいんかなあ」などと考えている。「絵画教室へ行って技術を習得しつつ同じ趣味を持った友達を作る」のと「描いた絵をネットにアップして不特定多数からの1万いいねを目指す」のでは全く毛色が異なるが、どちらも現代人が生きていくのに必要な満足感や充足感の補給手段である。自分に餌を与えるか、自分というコンテンツに餌を与えるか、それだけの違いしかない。

今日も元気にコンテンツやってくぞ

私は今更生身の人間として現実で充実した生活を送るための努力をするつもりはない。現実の自分がどんなに無意味で無価値で矮小で虚無に全身突っ込んだ存在であろうとも、コンテンツとしての自分がそこそこ楽しそうに生きていたらそれでいいと思う。最早自分の中からいくつかのコンテンツを切り出して発表する時代ではなく、自分そのものがコンテンツとなる時代である。少なくともブログを書くのは楽しいし、今は何のSNSもやっていないが、Twitterでたまにバズったりするのはとても気持ちが良いものだ。今日も1日、平凡なコンテンツとして頑張ろう。

 

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