珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

休日は人生について考えるくらいしかやることがないので大体こうなるという覚書|記憶を消すなら愉しい方を

自慢じゃないが英検三級に落ちたことがある

Mike「Hello,Remu Shirokuro.」

Remu「Hello,Mike!But I'm not Shirokuro. I'm Haguro. Fuck you.」

Mike「Oh,sorry Haguro. Fuck you too.」

Remu「LOL.」

Mike「That aside,how are you?」

Remu「I'm very yami.」

Mike「は?」

 

アイム ベリー ヤミ

参った参った。此度のベリー ヤミは長い。これまでも度々ベリー ヤミの強襲を受けてきたが、毎回ちょっとしたこと、本当に些細な喜びや愉しみなどでベリー ヤミの呪縛から這い出せていたはずなのだが、今回はいつまで経っても救いの糸が垂れてこない。私の中に鬱蒼とした木々を植林するのを止めてくれないか。一体全体、些細な喜びや愉しみはどこへ行ってしまったのだろう。Go To してるんじゃあるまいね。いやむしろ、些細な喜びや愉しみも律儀に自粛中なのかもしれない。考えてもみろ、私の中の些細な喜びや愉しみはそんなにパリピじゃない。アイム ベリー 病み ファッキュー。

 

なにわろとんねん

楽しそうな赤の他人を見て、その場でムズムズというかチリチリというかモヨモヨというか、そういう感覚に襲われたらベリー ヤミが大分進行している証拠なので針を刺してでも愉しみを摂取した方がいい。言葉では上手く言い表せないけど、心の底がカリカリッ!ジュワァ……となるあの感覚のことだ。ああそうだ、日本語にはイライラという言葉があったんだったね。どれもこれも、目を細め、口を開けて、大きな声を上げている人を見ると、「笑っている」と認識できる人間の機能のせいだ。そのように笑っている人を見ると、「ああ、何か愉快なことがあったのだな」と想像出来る人間の機能のせいだ。何か愉快なことがあったらしい人を見ると、「ええなあ、私も何か愉快なこと欲しいなあ」と羨んでしまう人間の機能のせいだ。何か愉快なことが欲しいなあと羨んでいると、「チクショウチクショウ、あいつらなにわろとんねん」と怒りに変換してしまう人間の機能のせいだ。いやいや、あの人たちはなーんにも悪くないでしょ。ついでに人間の諸機能も何一つ悪くないでしょ。全部あなたのせいですよ。

 

知らないチョコレート理論

今はこう、上手いことドライに生きられないかと模索している。「欲するから苦しい」というこの世の真理に対抗して生きていくためには、極力ドライなやり方でやっていくしかない。しかしながら、今後の人生をスーパードライに生きていくには、これまで喜びや愉しみといった経験を積みすぎたと思う。私の生き方の足を引っ張るのは現在の苦しみや悲しみよりむしろ、過去の喜びや愉しみである。それらの記憶を消すことが出来れば、過去にあったそれらを想起して欲することもないわけで、淡々と(周囲からすれば味気なく)生きていけるだろうに。チョコレートの味を知らない人が、チョコレートに対する単純な好奇心からではなく、「チョコレートは甘くて美味である」という経験(記憶)に基づいてチョコレートを欲するようなことが無いのと同じことだ。食べたことのない食べ物の味を現在において想像することは可能だけれども、過去の経験(記憶)から引っ張り出してくることはできない。「喜びや愉しみとはこういうことなんだろうなあ」と想像しながら、それはあくまで想像の範疇に留まり、興味はあれども苦しんで欲することはない。過去には様々な喜びや愉しみを受けられたが今はそれがほとんど無い者の、贅沢で、我儘で、奢っていて、見苦しく、楽観的で、口ばかりの、舐めくさった、不合理極まりないささやかな願望である。

 

自慢じゃないがTOEIC800点取ったことある

まあ、ファミマの厚切りポテト(のり味)が旨いうちは、まだやっていけるかな。

 

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