贅沢の義務と貧乏の権利についての覚書|そうやって生きてる自分が好きなだけ
贅沢は 友
人生の上限が見えてきた。早くもお迎えが来そうとかそういう意味ではなく、「自分の生活の水準はきっとここが限界で、それよりも高くなることは無いのだろう」という意味での上限である。少し考えてみよう。私はよっぽどのことが起こるか追い出されでもしない限り、今の賃貸アパートに住み続けると思う。もしかすると今より家賃が安い物件に引っ越すことはあるかもしれないが、逆に家賃が高い物件に引っ越すことはまず考えられない。それならば今の住まいが住居の上限である。食事に関して言えば、私はパン食い人種なので朝昼晩基本的にパン、それも値引きされたパンしか食べない。値引きシールが無いパンは高級品なので手が出ない。期限が2日、3日前のパンを当たり前のように食べている。繰り返すがパン食い人種なのでパン以外の食事にほぼ興味がないし、金を貯めたい現状でこれ以上の贅沢は出来ない。であれば、今の食生活が上限である。現状の住居にも食生活にも全く不満は無い……のだが、改まって「これが上限」と考えると、時折、現代日本人らしくもっと贅沢しなければという不思議な義務感が背後からやってくるのだ。仕事があってお金が貰えて、それを自由に使う権利があって、身近に沢山の使い途があるのなら、もっと楽しいことをしたり、もっと素敵な物を買ったり、もっと美味しいものを食べたり、そういうことをするのは恵まれた者としての義務なのではないか?と。とはいえ私は疑わしい思想に対する逃げ足だけは速いので、襲い来る贅沢の義務からはピャッと逃げ去ってしまうのだ。逃げるは恥だが役に立つ。
贅沢の義務とは和解出来そうもない
私の収入が増加した場合を想像してみる。もし仮に私の年収があと100万多かったら、私の年間貯金額に100万円が上乗せされることになり、ソーハピ。エッ贅沢しないのかよ!「贅沢の義務に追われること」と「贅沢の欲求が生じること」は影響し合わないので、私に贅沢する気が起こらなければ、いくら贅沢の義務に追い掛け回されようが贅沢しないだろう。万が一反対に、贅沢の義務が私から逃げ出すような場面で私に贅沢の欲求が起ころうものなら立場が逆転して、私は逃げる贅沢の義務を追い回すのだろう。贅沢の義務、お前は一体何だ?「贅沢」それ自身がゼイタクだというのに、「贅沢の義務」だなんてゼイタクの重複が許されるとでも思っているのか?私がルパンならお前は銭形警部だし、私が銭形警部ならお前はルパン。ヤツはとんでもないものを盗んで行きました。私のお金です。
「 吝嗇 」とかいう文字の格好良さと意味のギャップがすごい言葉
とはいえ貧乏フリーターにとっては、贅沢の義務に追われてなお贅沢の欲求が生じないのは良いことだ。今の生活水準を超える生活は私と壁1枚隔てた上流階級のもので、そもそも欲求するだけ虚しいものだ。私はここで生きると決めて、今やその決意が揺るがぬものになったのだから、贅沢の義務に怯える必要は全く無い。それに、古典を読み漁れば読み漁るほど、諸々の欲求の角が削れて丸みを帯び、それらがあちらこちらに引っかかることがなくなっていくのを感じる。以前はモヤっとボールくらいあった欲求の棘は、今やモンスターボールくらいツルツルだ。いやモンスターボールは言い過ぎかもしれない。永沢君の頭くらいはとんがりがあるかもしれない。私には「今夜は和食にしようか洋食にしようか中華にしようか、肉にしようか魚にしようか野菜にしようか、コンビニにしようかスーパーにしようか外食にしようか」などという贅沢の楽しみが無い代わりに、自分が好きなパンにピンポイントで半額シールが貼ってあった時のこの上ない喜びがある。それで十分なのである。
※現世の古典とかいう意味わからんこと書いてたので修正
欲するところから苦痛が産まれるんだゾ
私は何も諸々の欲求の縛りから抜け出そうと努めたわけではなく、ただそうなっただけで、そこに我慢や忍耐や苦痛はほとんど無いか、あっても無視できる程度のものであった。これは……そう、世の修行屋さんがあの手この手で手に入れようと躍起になっているものの、そのひと欠片ではないか?うーんこれは勝ち組ですね。ここで世の修行屋さんたちに向けてアドバイスです。欲を捨てる手っ取り早い手段、それはこの世に絶望して出来る限り早いうちに見限っておくか、潔く諦めることです。
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