珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

ファンタジーやメルヘンな感じの雑多な覚書|ビタミン、タウリン、カフェイン、メルヘン

昔々あるところにおじいさんとおばあさんがソーシャルディスタンスを保ちながらも仲睦まじく暮らしておったとさ

現実とおとぎ話の世界がきちんと分かれていて本当に良かった。何かの弾みでこちらの世界があちらの世界に漏れ出したり、あちらの世界がこちらの世界に滲み出たりしなくて本当に良かった。万が一こちらの世界があちらの世界を侵食するようなことがあったなら、あちらの世界では今頃赤ずきんちゃんがおばあさんのお見舞いに行く代わりにZoomでリモートお見舞いをする羽目になったりとか、桃太郎が鬼ヶ島へ行く代わりにYoutubeで桃太郎vs鬼の討論配信をして視聴者に勝ち負けを決めてもらう羽目になったりとか、シンデレラが行くはずだった舞踏会が昨今の情勢を鑑みて中止される羽目になったりとか、そういうことになるところだった。その辺りの相互不可侵条約は今のところ固く守られている。多分。1000年前の人類から見れば、今のこちらの世界はすでに「あちらの世界」と化してしまったのかもしれないけれど、今の人類視点ではこちらの世界はまだギリギリ「こちらの世界」だ。多分。知らんけど。

 

2000年の情景と1000年の展望

この世であと1000年生きたいとは決して思わないけれど、この世であと1000年の間に何が起こるのかは知りたいと思うのはあまりにも虫が良すぎるだろうか。あと1000年の間に生まれる技術、思想、文化、学問、芸術、色々なことに興味がある。哲学なんか特に。果たして人間はどこまで到達するのだろう。我々はこの2000年の間に答えに近づくどころか更なる迷宮へ迷い込んでいる気がしないでもないが、初めてプラトンの対話篇を読んだときのような感覚、素朴な哲学への素朴な親しみを思い起こさせてくれる、まるで実家のような哲学が生まれるだろうか。それとも先に進むにつれて我々は、より難解な思想とより難解なことばで編まれたより難解な織物でぐるぐる巻きにされて呼吸も出来ずに喘ぐのだろうか。私は何も哲学が「よいこのてつがく」まで退行してほしいと言っているわけではないし、ましてや現代哲学よりも古代哲学が優れていると言っているわけではない。私はアホなので難解なものよりも平易なものの方が個人的に嬉しい、というだけの話だ。私のようなアホにもすんなり飲み込めるような柔らかな哲学、舌や歯茎ですりつぶせる哲学、嚥下しやすい哲学、誤嚥を起こさない哲学、そういったものたちの芽は、古代において摘み尽くされてしまったのだろうか。

 

月火水木金土█日

1週間のうち6日は苦痛と退屈の象徴である労働に費やし、残り1日は死んだように眠る。これをあと何百回か繰り返して、私はこの世を去るのだ。ジーザス、マジかよ。神は1日目に天と地をつくり、2日目に空をつくり、3日目に大地をつくり、4日目に太陽と月と星をつくり、5日目に魚と鳥をつくり、6日目に獣と家畜と人をつくり、7日目にお休みになった。ウーン。私はキリスト教信徒ではないので酷く罰当たりなことも平気で言うが、6日目に獣と家畜と人をつくったならば、7日目に獣と家畜と人にとっての幸せをつくってから、8日目にお休みになってほしかった。そのために現在の我々の1週間が8日になって、そのうち休みが1日しかなかったとしても、我々には「幸せ」があるのだから、7日の平日が何の苦になろうか。神がつくった「幸せ」があるんだぞ。起きて幸せ、働いて幸せ、休んで幸せ、寝て幸せなのだ。ちょいとねえ、神様さあ、今からでも1週間というシステムを変えられないかな?

 

人類共通の敵って「数字」なのでは?

あと1週間(忌々しい1週間)で給料日だ。25日が日曜日なので、給料日は23日の金曜日になる。ついこの前9月の給料日があって、もう10月の給料日だ。年々、というか月々、給料日の到来が早くなる。給料を貰った すぐ後に・・・・ また給料が入る。私にとって給料日は喜ばしい日ではなく、単なる区切りとなってしまった。給料日を一区切りとして、さあまた次の給料日まで頑張るぞい、というただそのためだけの単なる記号になってしまった。給料日だから買い物して帰ろうとか、まあ昔はそのために今より幾分か楽しみであったのだが、最近はそういうこともなく、「いつもと同じようにやって来ていつもより少しだけ特別に振る舞いいつもと同じように過ぎ去る」、いつもと同じようで同じではないようでやっぱり同じというよく分からない不気味な日に成り果ててしまった。お金のためだけに働いている人間がお金に喜びを感じられなくなったら、給料日は一体何の日なんだろう。通帳の数字が増える日だ。通帳の数字が増えることはエライことなのか?私の目の前に10という数字があったとして、それに10という数字が加わって20になることは、そんなにエライことなのか?

 

でも5部で鏡の中の世界あったじゃん

 妙に機嫌良く帰宅したので、思い浮かんだ話をぽんぽん書いてみたら、妙にふわふわとした話ばかりになってしまった。「『こちらの世界』が『あちらの世界』になる」とか、「柔らかな哲学の再来」とか、「あるべきだった1週間の8日目」とか、「薄気味悪い給料日」、なんてありませんよ。ファンタジーやメルヘンじゃあないんですから。

 

 

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