珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

貴重な36時間に素通りされる女と1冊の回想録についての覚書|おいコラ時間私を無視すんなコラやんのかコラ

平日の方がよっぽど休日なんだよなあ

休日には36時間横になっていることが当たり前になってきた。そしてその36時間が私を酷く苦しめる。早朝6時半頃に帰ってきて、顔を洗うなり(洗わないこともある)荷物を片付けるなりして、7時頃にパソコンをベッド横の台に持ってきてベッドに横たわり、適当な動画を流してそれをぼーっと見ているうちに、寝オチ。それからは睡眠、動画、トイレを繰り返して、この上ない後悔と共にベッドからおさらばするのが翌日の夜7時である。 そういうこと・・・・・・ をするから休日にも関わらず苦しむ羽目になるというのに、 そういうこと・・・・・・ しか出来ないのが歯痒い限りだ。もう休日なんか1日も無い方が良いのでは?と思ってタウンワークを覗いてはイヤイヤ冗談じゃない、とページを閉じるまでが様式美。はーもう何やってんですかねえ。わざわざ労働を増やす必要なんか無いんですよ。適当に本を読んだりコンビニに行ったり部屋の掃除をしたりして、休日らしいことをすればいいわけですよ。

 

私に読んでもらいたい本だね

今はルソーの『孤独な散歩者の夢想』を読んでいる。この本を誰かにお勧めするとすれば、絶え間ない怒りに苛まれている人、苦悩が一周して平穏に到達しそうな人、自分の人生に諦めを付けたと言いながら明らかに諦めきれてない人、自分より幸福な人が羨ましいし自分より不幸な人もまた羨ましい人、散歩中の犬が羨ましい人、道端で転がる猫が羨ましい人、今しがた自分がぶっ叩いて殺した虫が羨ましい人、そういう人に読んでもらいたい。迫害に次ぐ迫害を経て完全に人間不信に陥っている(ように見える)ルソー先生が、それでもなお「完全に自分ひとりだと思っていたのにやっぱり人間のなかにいることがわかったという喜びの感情」なるものを綴っているのが……なんだろう、陳腐な言葉で言えば、ひどく痛ましい。神様は人にこんなものを書かせるために我々を造ったのか?

 

「十分な理性がある人間」のことを「丸い四角」くらいに思っている

私は最高に機嫌が悪い時、視界に入るあらゆる人間、特にバカ騒ぎしている人間や理解出来ない行動を取る人間や酔っ払っている人間や人の話を聞かない人間などを「理性のない化け物」と呼んで脳内で罵倒していることが度々あるのだが、それよりはルソーの言う「いっさいの道徳性を喪失した、いろんな動き方をする魂」の方が美しくあるので、今度からそう呼んで罵倒することにする。顔の見えない人間であれば大方の人間は理性的に見えるのだが、ひとたび人間の顔が見えてしまうとそらもうだめだ、りせ……「いっさいの道徳性を喪失した、いろんな動き方をする魂」にしか見えない。顔というのはもちろん容姿のことではなく、要は「実体」という意味である。ところで他人のことをこんな言葉で散々罵倒してきた人間にも、十分な理性があるとは思えないのだが、白黒さんそこのところは如何。

 

この世から戦争が無くならないわけだ

私なんぞが哲学の大家たるルソー先生に口答えするのも恐れ多いことだが、ルソー先生ねえ、あなた本当に、「魂の平和」を見出したんですか。ねえ、ルソー先生、そんなこと言って、あなたには掃いて捨てるほどの「人間を恨む権利」があるじゃないですか。あなたの言う「魂の平和」が真実「魂の平和」だと言うのならば、いやまったく、平和なんてクソ喰らえだね。

 

 

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