珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

夢のマイホーム、マイライフについての覚書|マイホームに「私」は要らぬ

人生のやり方を教えてくれよ

今住んでいるアパートの正面に、実に模範的な家がある。確か4年か5年くらい前に建てられた家だったと思う。わりかし今風なデザインだが、派手すぎず地味すぎず、特別大きくも小さくもない二階建てで、ギリギリ2台分の駐車スペースがある。実に模範的である。住んでいるのは30代半ば~後半くらいの夫婦と、娘が2人。20代前半に結婚して子供を2人もうけて、30代になって子供も大きくなったので家を建てた、そんなところだろう。実に模範的である。彼らが新居に越してきた当時はランドセルを背負った姉妹が帰宅しているのをよく見かけたが、今では2人とも中学生だ。実に模範的である。早朝にバイトから帰宅すると、旦那が外でうろちょろしながら煙草を吸っている姿をよく見かける。実に模範的である。休日になると家族4人車でどこかへ出掛ける様子をよく見かける。実に模範的である。

 

 

 

 

つよい(確信)

 

豆腐ハウスも立派な家

 「人生の」目標とか「自分の」将来とか言うと、途端に夢も希望も愉しみも無くなるので、これから考えるものを「家」と呼ぶことにする。考えるのはあくまで「家」のことなので、そこに私が住んでいるとは限らない。理想の美少女が住んでいるかもしれない。そうだ、これからは自分の将来について考える代わりに、理想の「家」について考えよう。 「人生」に自分の存在は必須だが、「家」であればそこに自分の存在は必須ではない。そこに自分がいてもいいし、別にいなくたっていい。「理想の人生」から「自分」の存在を引き算したものを「理想の家」と呼ぼう。その「家」の中には誰かの理想がぎゅうぎゅうに詰まっている。いつも許容量を超えた誰かの理想が壁から床から樹液のように滲み出して、「家」の外観は今にも溶け落ちそうなほどグズグズになっている。その中に理想を享受しながら生活する家主はいない。ただ時々、私の影法師が「家」の中をちょろちょろして、家の隅々を滴っている理想の蜜をちょいと掬ったりぺろりと舐めたりするのを、他人事のように眺めるだけだ。

 

れむ知ってるよ。掃除しない奴ほど凝りたがるってこと

 「家」といったらまず考えるべきは内装、インテリアだろう。面積はぎゅっと狭くていい。カーテンやベッドやカーペットなんかの布製品は黒で統一して、それ以外の家具は白:黒が1:1になるくらいに配分する。欲しいものは作業机、コーヒー机(?)、小さい箪笥、1人用ソファ、機能的なベッド、すごい本棚。コーヒー机の上には今からでも喫茶店が開けそうなくらい本格的なコーヒー用品が揃っていて、豆は何処からか勝手に湧いてくる。その横に食パンしか焼けない可愛いトースターが1つあって、毎日そこで朝食を摂る。部屋の隅には岩波文庫が全冊収められた四次元本棚がある。岩波文庫サブスクかな?押し入れには買ってから1度も使ってないイーゼルと油絵道具一式が入っている。いつか使う。そしてもちろん猫を飼う。何匹でもいい。決められないのでサイコロを転がして決める。ウーン、早くもお腹いっぱいになってきた。

 

悪いな、この「家」は1人用なんだ

私の理想の「家」には私1人分(と猫)のスペースしかない。そこに誰かが加わる余地は無いし、家賃払われたって願い下げだ。もちろん、人によってはそこに恋人や家族の像を置いたりするのだろう。ただ、私は置かない。部屋に植物を飾る人もいれば、飾らない人もいる。絵画を飾る人もいれば、飾らない人もいる。それと同じで、私は理想の「家」に他人を飾らない。積極的に他人を飾ることで褒められたり、とりあえず精神で適当に飾っておいた他人が後々になって役に立つこともあるかもしれない。そういった諸々の利を考慮しても、やっぱり他人は飾れない。「家」を完成させるためなら、私は石油王だろうが白馬の王子様だろうが神様だろうが平気な顔して寒空の下に締め出すだろう。

 

猫する(動詞)

どういう人生を歩みたいですかと聞かれてもさっぱり分からんが、どういう家に住みたいですかという問いは幾分か答えやすいと思う。んで、胸焼けするほど理想を詰め込んだ「家」、その隅っこに自分の実体をコソッと置いたとしても、なんだえらい精巧な置物だなくらいに思われて、ひょっとしたら自分がそこにいることはバレずに済むかもしれない。これは又とないチャンスなので、最早そこに棲み着く他に選ぶ道は無かろう。して、私はここで何をすればいいのか?理想しかないこの場所で。猫か?猫をすればいいのか?そうか。猫をすればいいんだな。よーし猫しよう。そうやって私が猫出来た暁に、私の人生は大きく進むのだな?猫が出来たら次は……コーヒーか?分かってきたぞ。要するに私はこの「家」の中にあるものを、すればいいんだな?オーケイ、やり方が分かってきた。人生のやり方が。「理想の家」に「自分」が棲み着いたのなら、それはもう「理想の人生」だ。

 

 

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