墓についての覚書|人生そのものが既に人生の墓場なんだよなあ
エモ言われぬ
予め、多大なる不謹慎をここにお詫びしておく。停車中のバスの窓から見た、ひとり黙々と墓石に水をかけるギャルの姿にえも言われぬエモを感じたのでここに報告したい。便宜上ギャルと書いてしまったが、ギャルと呼ぶには些か趣の深まった、恐らく私と同じくらいの年頃かもしれない、およそ20代半ばから30代前半くらいの、明るい茶髪に帽子を被りカーキ色のファー付きコートを着たイケイケのチャンネーが、誰を伴うでもなくただひとり粛々と墓石に水をかけ、墓の手入れをしていた。そこではまずなによりも、色合いが大変によかった。なびく髪の 樺 色と、上着の 鶯 色と、墓石の 錫 色と、墓地の奥に広がる鬱蒼とした木々の織部、わびさびの色があちらこちらと移りゆくさま、さながら厳粛な日本画家の絵皿の上であった。墓石を伝う水の音がこちらまで聞こえてくるようだった。それに、なんといっても、イケイケのチャンネーがよかった。ふむ。なるほど今日は暖かい。墓参りにはもってこいの日だ。
危うくじいちゃんと同じ墓に入るとこだった
ついでなので墓の話します。母方の家のご先祖様が大勢眠っている墓地、とにもかくにも、子供の墓が多い。ヒエッ。大人の墓と子供の墓が同じ数くらいある。下は5歳くらいから、上は確か17歳だったと思う。20代も2人くらいいたかな。ひいばあちゃんの兄弟姉妹とかその更に前とか、それくらいの年代の人たちがほとんどだが、中には母に近い年代の人もいて、墓参りの度に背中がムズムズしたのを覚えている。そういえば子供の頃、何故か知らんが「自分はきっと20歳までに死ぬんだ」と頑なに思い込んでいた時期がほんの少しだけあった。本当に何故かは分からない。さっぱり分からない。9歳か10歳か、その辺りの頃だったと思う。今考えると、なんかこう、呼ばれていたのかもしれない。ちなみに11歳の頃、信号機のない横断歩道を渡っていたら、猛スピードで直進してきたトラックに轢かれかけたことがある。ははあ、なるほどね。結局この年まで生き残ってフリーターしてるわけであるが、当時小学生の私に言葉をかけるとするならば、「残念ながら今がお前の人生の全盛期だから1番輝いているうちにお星さまになっといた方が身の為だぞ」としか言いようがない。実際、今くたばったところで良くて隕石、さもなくば宇宙の塵にしかならないしな。
ピース&ピース
ついでなので人生の話します。私がこの世で欲しいものはただひとつ、「安寧・平穏・静謐」である。ただ言葉を変えて並べただけなので、実質ひとつだ。なんなら「無風・清閑」などを次々足していってもいい。いくら足しても実質ひとつである。世界平和をお祈りするだけの気力は残ってない。もう私が平和ならなんでもいい。私が平和でありますように!世界中のみんながこんな風にお祈りすれば、実質世界平和への祈りになるのに。それはそうと、今こうしてアホみたいに働いてるのは、全て将来の私の平和のためだ。今のうちに稼げるだけ稼いで、ある程度金が貯まったら、労働のペースを落として、毎月ほんの少しずつ貯金出来る程度には働きつつも、心穏やかに過ごせる時間を増やす。将来の平和を思えば、今の多少の苦労なんて苦労のうちに入らない。
み……水
……と、そんなことを言いつつも、実際のところは、いつ宇宙の塵になってもいいと思っている。何故というに、欲しいものが平和しかないからだ。先ほど「この世で」欲しいものはただひとつと言ったが、平和なら、多分あの世にも取り揃えてあるだろうし、むしろあの世の方が品揃えが多いようにも思える。私が平和でありさえすれば、それがこの世の平和だろうがあの世の平和だろうがなんだっていいのさ。今の私に出来ることは、この世の平和かあの世の平和どちらかに到達するまで、ひとまずこの世で掲げた目標を達成すべく黙々と生きるだけだ。貯金が目標のおいくら万円達成したらこの世の平和はある程度獲得出来るし、万に一つ、目標達成前にトラックに轢かれて死んだとしても、あの世の平和が私を歓迎してくれるに違いない。しかしながら、私が死んでも私に水をかけてくれるイケイケのチャンネーは決して現れないだろうし、それどころか生きてるうちに水をかけてくれるイケイケのチャンネーさえもいないだろう。アー、生きてるうちでも死んだあとでもいいから、私に水をかけてくれるギャル、どこかにいないかなあ。