珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

自分が自分と共に自分からも逃げる覚書|隙あらばコミュニケーションから逃げる方法を探している

リモート逃避行

愛の逃避行してえな~~~自分とな~~~

 

もうひとりのボク

駆け落ちするなら、そう、自分と。自分とがいい。ずっとずっと遠くの土地へふたりっきり、いやひとりっきり?まァとにかく、人目を忍んでこっそり逃げおおせるのに自分ほど都合のいい相手はいない。そこで他人なんかと連れ立ってみろ。こちらがお手洗いのために席を外したが最後、どっかの誰かにこちらの身柄を引き渡す電話をしているに決まってる。悪の組織か、正義の組織か、さもなくば私の母親にだ。そういうのに連絡をしているんだ。ひょっとするとどこかのスパイかもしれない。もしも連れ立った相手が自分ならば、そんな心配は必要ない。私がお手洗いに行っている間に、私が私をどっかの誰かに売り払うような真似をするだろうか?自分、この世で最も信用できる連れ合い。私と一緒にどこかへ行こうよ。ずっとずっと遠くの土地へ。

 

味方・・ を大勢抱え込んで悪いことしてる人のことみんなアホって思ってる 

水面下で行われた数々のやましい事柄が毎日毎日ああも呆気なく露見する理由は、ひとえに他人が関わっているからである。知らんけど。関わる他人が1人2人ならともかく、100人とか、1000人とか、10000人が関わっているところで成したやましい事柄を、どうして隠し通せると思うのか。思ってしまうのか。世のやましい人々に声を大にして問いたいところである。私が敢えて「悪しい」とは言わず、「やま しい」と言うに留まったことに深く感謝して欲しい。良心の余地を残しておいてあげたんだからね。え?世界のどこかの水中深くには、幾人が関わろうともその内部にあるものが決して露見することのない聖域が存在するって?あー、ウン。私は水面上の人間だから。陸上生物だから。深きものどもじゃないし。ムズカシイコトハヨクワカラナイデスネ

 

アニオリのドーマ編で表遊戯が闇遊戯を(精神的に)ボコボコにした話はよかった

場面によっちゃあ、役に立つ他人よりも役立たずの自分がもう1人いた方がよっぽど安心できるんだ。自分の目の届かないところで他人が上手いこと立ち回っているよりも、自分の目の届く範囲で自分が下手こいてる方がほっとするんだ。私は昔から人様にお願いするのがとにかくヘタクソで、それゆえに人生もまあヘタクソなのだが、とにかくそんな具合に、自分への信頼度がすこぶる高い。多分、生まれた時に、そのへんのステータスの振り方を間違えたんだと思う。一応言っておくが、「自分への信頼度が高い=自分の能力が高い」でもないし「=自分に自信がある」でもない。むしろその逆で、自分の能力の低さは自覚しているし、自分に自信がないことも大いに認めた上で、自分への信頼度が高いのだ。意味わからんなあ。

 

すまないさん

例えば、私が利害を共にする他人に向かって何かをお願いしたとしよう。それで、快く了承されたとしよう。さらに彼が上手く立ち回って成功したとしよう。すると私の中で何が起こるか?「なんだかこき使っちゃったなあ、申し訳ないなあ」である。なんでやねん。ではその逆に、彼が下手こいて失敗したとしよう。すると私の中で何が起こるか?「なんだか損をさせちゃったなあ、申し訳ないなあ」である。なんでやねん。つまるところ、相手が快く受け入れてくれようが受け入れてくれまいが、それを成功させようが失敗させようが、相手に対する気持ちは「申し訳ない」の一言に収束する。全ては自己評価の低さが原因である。箸が転んでも申し訳ない年頃なのだ。永遠に。それで、この「申し訳ない」をこじらせにこじらせたまま立派に成長した結果、どうなるか?「どんなに足掻こうが最終的にはいつも申し訳ないのだし、そんな風に申し訳ないのも面倒くさいから全部自分でやろう」である。なんでやねん!

 

全て遠き理想郷

……とかナントカ言ったが、結局あの「申し訳ない」ってのも建前で、最後にポロッと言った通り、本っ当に、何もかも面倒くさいんだろうなあ。組んだ相手が自分なら、そんな面倒もほとんどなくなるわけで。そうやって面倒を排除した代償として、ヘタクソな人生を背負っているわけで。とはいえ面倒抱えて上手な人生背負って生きてくのと、どっちがいいんだろうか。私は自分しかいない島とかに生まれるべきだったな。うわあ、すごい、すごい、自分しかいない。右見ても左見ても自分だらけ、 木偶でく の坊の楽園だ。どいつもこいつも役に立たない。いつかそんな島に行きたいなあ。連れ合いは、もちろん自分で。

 

 

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