珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

相手の視点から見た私をひとつひとつ消していく覚書|私からは見えない私をみんなは見てるんだなって

ヴォエ(いらっしゃいませ)

「人が必死になってゲップを堪えているところに曲がり角から急に現れる客なんなん」と私が考えていたとき、相手はきっと「曲がり角から急に現れてゲップかましてくる店員なんなん」と考えていたことだろう。休憩中に炭酸なんか飲むんじゃなかった。自分が炭酸にすこぶる耐性ないの分かっていたくせに。胸はつかえるわ腹は苦しいわで内側から破裂しそうだった。びっくりした衝撃で屁が出なかっただけまだよかったな。しかし、相手に対して身勝手な怒りを覚えてしまったときはこのようにして相手の視点に立ってみることで、いくらか緩和される(緩和されるとは言ってない)ものだ。またひとつ賢くなったな。あと、今後休憩中に炭酸は飲まない方がいいな。ふたつ賢くなった。

 

VR相手の視点

よく「相手の視点に立って考えなさい」と人は言う。それは厳密には2種類あって、「相手の考えや心情を想像してみなさい」「相手の視界に何が映っているか想像してみなさい」の2つである。最終的にこの2つは融合合体を果たすのが常なのだが、要は心理的なものを想像するのか、物理(?)的なものを想像するのかの違いである。日常では概ね前者の意味が使われるが、後者の場合もないこともないだろう。それで、アア、この後者がまこと厄介なのだ。それ、ええと、つまり、もしも相手が私の視界内にいるようなシチュエーションだったなら、相手の視界内に私がいる可能性が大なのであって、あの、その場合って、私の姿を想像するんですか?私が?私の?

 

鏡張りの部屋はエッチな作品の中だけにしといてくれ

私は鏡で自分の姿をまじまじと見る習慣はあまりないが、それでも自分がどんな顔をしているか、どんな体をしているか、どんな服を着ているかくらいは知っている。相手からみると、こんな顔をした私が喋り、こんな身体をした私が歩き、こんな服を着た私が走っている。すごい。ミラーハウスの中にいるみたいだ。そこでは私が目を瞑らない限り、私の目の前には必ず私がいる。それと同じで、私と相手が向かい合っていた場合、相手が目を瞑らない限り、相手の目の前には必ず私がいる。ヒエーッ。耐えられないよぉ。

 

はやく透明人間になりた~い

未だに、他人視点ではそこに私の姿があるということが半ば信じられないでいる。何言ってんだ?私が他人を見るときのように、他人が私を見ていることが信じられない。他人の目に私の姿が映ってるって、マジかよ。じゃあ他人からは私の後頭部とか背中も見えちゃうわけ?マジかよ。私が私の存在をこれっぽっちも意識していないときに、他人がたまたま私を見て私の存在を一瞬意識するようなことも、起こっちゃうってこと?マジかよ。なんかこう、すごくムズムズするな。他人に認識されるのがすごく苦手なんだ。私もあなたを見ないから、あなたも私を見ないようにしてくれなんて、そんなTwitterのブロック機能みたいなものは現実には存在しない。

 

権利の相場はよくわからんな

ここでなんとなく気づいてしまったことがある。他人が私を見ていることを拒絶したいのではなくて、私が他人に見られていることを拒絶したいのだ他人が私を見る権利を、私は尊重しよう。めちゃくちゃイヤだけどな。でも、私が他人に見られる権利或いは義務なんてもの、神に喧嘩売ってでも放棄してやりたい。いや待てそこまでしなくとも、私が他人を見る権利と引き換えでどうだ?ダメ?そうですか。ちなみにそれって、私が他人に見られる権利或いは義務の方が高すぎるから釣り合わないんですか?それとも私が他人を見る権利の方が高すぎるから釣り合わないんですか?それともその両方に価値をつける価値すら存在しないからトレードが成立しないんですか?それを教えるのもダメ?そうですか。「私が私の存在をこれっぽっちも意識していないとき」なんて、そんなときがこれまでにあっただろうか?私の頭の中はいつも私が何であるか、どうであるか、どのようにあるかでいっぱいなのに。ちょっと何言ってるか自分でもよくわからんが、そういうことにしといてくださいまし。

 

 

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