珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

いつか必ず買うコーヒー・ミルについての覚書|買うも買わぬも自由論

誕生日プレゼントにアイス用のコーヒー豆を貰ったけど冷凍庫がないので氷が作れないしそもそも豆を挽くためのミルを持ってなかった人の顔

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観賞用コーヒー豆

紙袋を渡されて中にコーヒーが入っていると言われたときは大層喜んだものだが、開けてみるとまあ見事になんと言いますか、くれた本人には申し訳ないが少し笑ってしまった。アイス用とはいえホットがダメってわけでもなかろうしその点はどうにでもなるとして、ミルを持ってない点に関してはどうしようもない。近所のスーパーのコーヒー売り場には確かセルフ豆挽き機が置いてあったはずだが、故障中の張り紙が外れているところを見たことがない。多分ああいうオブジェなんだと思う。どうすんだこれ。ミルはいつか買おうとは思っていた。いつか、自室で優雅に豆を挽けるような余裕が出たときにでも、買おうかなと思っていた。いやはや、今買わずにいつ買うんだよと言わんばかりの絶好の機会だな。ウン。いつか買おう。いつか必ず買おう。

 

いつ買うの?

今でしょ!が流行ったのって何年前でしたっけ。3年前?5年前?エッ8年前!?「いつか買おう」「いつ買ってもいいけど」「いつ買おうかな」などと考える度に私の中の林修がうるさい。声がうるさいというより、顔がうるさい。宮野真守みたいな感じ。それはさておき、なんだろうな、「いつか必ず買うもの」ってなんか引っかかる言い方だな。今は金銭的な余裕がないからお金が出来次第必ず買う、今は買う機会がないが機会が見つかれば必ず買う、今は買うのに都合が悪いから都合がよくなり次第必ず買う、などという意味であればなんらおかしくないのだけれど。今それが欲しくて、今それを買うためのお金が手元にあって、今それを買う機会があって、今それを買うのになにひとつ不都合はなくて、それでいて「いつか必ず買うもの」。なんだそれ。今買うのがだめな理由は一体なんなのかって、そんなもの決まってらあ、だめだからだめなんだよ。私に訊かないでくれよ。私が1番知りたい。

 

終わりは始まり

これは単なる吝嗇とかそういうんじゃなくて、遠足は前の日の夜が1番楽しいとか、修学旅行で1番盛り上がるのは行きのバスの中だとか、旅行のピークは自宅で荷物をスーツケースに詰めているときだとか、きっとそういうものに近いんだと思う。欲しがっている時期が全盛期。買うのを諦めたならその時点で終わりを迎えるのは言うまでもないが、買ったら買ったで、もうなにもかも全部おしまいなんだ。買って、使って、満足して、壊れて、それでやっと終わるのではなく。「いつか必ず買うものリスト」が埋まれば埋まるほど私は無邪気になるだろうし、「既に買ったものリスト」が埋まれば埋まるほど私は沈着になるだろう。

 

欲しい自分が生きているとき使う自分はいつも死んでいるし、使う自分が生きているとき欲しい自分はいつも死んでいる

私たちの身の回りには魅力的なモノが溢れかえっている。目の前にあるそれの用途がさっぱり分からなくたって、さしあたりそれを欲しがることはできる。使い道が全く想像できなくたって、欲しがるだけならタダ。欲しいと思ったそれの使い道なんか全く想像できなくてもかまへんかまへん。よくわからないそれを握っている自分はきっと嬉しい気分になると思う、じゃあ買って、ただ握っていればいい。名前も知らないそれを置いてみた自分はきっと楽しい気分になると思う、じゃあ買って、ただ置いてみればいい。構うのは、それを握ったり置いたりしている自分を全く想像できないことの方なんだから。モノはひとりでに握られたり置かれたりするわけじゃない。そこには必ず握る自分や置く自分がいるだろう。よもやそれを、そんな重大な仕事を、他人に任せるつもりじゃあるまいね?

 

それは必ず必要を要することなのでしょうか

Q.いつか必ず買うけれど、いつか必ず使うとは限らないし、いつか必ず使い続けるとは限らないし、いつか必ず使っている自分がそこにいるとも限らないし、じゃあいつか必ず買う必要はないのでは?

A.今でしょ(思考放棄)

 

 

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