珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

自己研鑽と他者の研鑽についての覚書|余ってないようで余ってるようでやっぱり余ってないお金

自己研鑽への道のり

①研鑽用の自己を用意します

②研鑽用の自己を研鑽します

③おわり

 

自己(研鑽用)

以前にも似たような文章を書いた記憶があるが、研鑽用の自己とは、つまり「研鑽するに値する自己」ということである。初っ端から無理ゲーですね。金や時間や労力を払って研鑽するだけの価値のある自己を見つけるところから、自己研鑽は始まるのである。己はこの自己研鑽の果てに、確かな満足を見いだせるのか?そんなことよりたしかなまんぞく氏のボイロ絵を見てくれ。己が研鑽に費やした金や時間や労力が、最終的には一片残らず空虚へと落ち込んだりはしないだろうか?それならばいっそ、初めから金や時間や労力を他者或いは他物の研鑽の為に供した方がよほど有意義なのではなかろうか?「研鑽された自己」が完成した彫刻品で、「研鑽するに値する自己」が彫刻用の石材だとしたら、我々はまず、「研鑽するに値する自己」を採掘するところから始めなければならない。無論、採掘の後は整形やら研磨やらの作業が待っている。ヒィヒィ。

 

自己肯定感を無に変えるのは簡単なのに無を自己肯定感に変えるのは難しいんですね

これまた以前似たような文章を書いた記憶があるが、「研鑽するに値する自己」を採掘するエネルギーはズバリ、自己肯定感である。自己肯定感がなけりゃ何も始まらない。要するに、採掘するための道具や労力の調達なのだが……道具を買うにも、労力を買うにも、お金が必要になる。この「お金」とは一体何か?それはズバリ、自己肯定感である。自己肯定感で自己肯定感を買い、買った自己肯定感で自己の原石を買うのである。これは一種の服を買いに行く服がない現象だ。それどころか、服を買いに行く服がないし、近所に服が買える店も見当たらないし、そもそも服を買う金がないんだった!ワッハッハ!くらいの悲惨さがある。自己肯定感を得るための自己肯定感がない、というのは現実でわりとよくある話なのが、かなしいね。

 

ほら最近の学生さんは特に大変だから

話は変わるが、冒頭でサラリと書いたが流してしまった部分について掘り下げたい。「それならばいっそ、初めから金や時間や労力を他者或いは他物の研鑽の為に供した方がよほど有意義なのではなかろうか?」という箇所について。私は才と意欲ある学生さんが大好きなので、学生証と、成績表と、将来やりたいことについての簡単な作文をご提出頂ければ、参考書1冊買うためのお金くらいペロンと与えたっていい……かもしれない。いや、本当にやるかどうかは別としてね。ただ少なくとも、頭の片隅ではそんなことを考えている。お給料日になってさあおちんぎんを振り分けるぞいという時に、5000円程度を「未来ある学生さんの参考書代」として計上しておくのだ。まあ流石にこれは絵空事だが、最近ではネットから気軽に募金なり寄付なり出来るので、私が心の底から己への投資を無価値と感じ他者への投資を価値あるものと思っているならば、学生さんを対象としたそういうサイトを探して、毎月クレカで引き落とされる設定にでもしておけばいい。私にその勇気があるならば。

 

昔ヤケを起こして災害の復興支援になけなしの20万ぶちこんだことあるけどその時のお金のことを今でも時々思い出すんだ

確かに私は、もう自己研鑽に費やすためのまとまったお金は必要ないと思っている。それどころか、見知らぬ優秀な誰かにお金を譲り渡してもいいと、頭の中では、思っている。お前は必要最低限の生活費があればそれで良いんだろう?ウン。別に家も車も欲しいわけじゃないんだろう?ウン。将来に備えてと言いつつ、備えるに値する将来なんて無いと思ってるんだろう?ウンウン。じゃあ毎月5000円ぽっち、実際に寄付してくればいいじゃない。己は安い女で、ひと月に7万もあれば十分生きていけるとほざいていたのだから、己にとって全く余計な5000円が誰かのためになるのなら、それは素晴らしいことなんじゃないか?ウーン。そりゃそうだけど。分からん。いや分かる。でも実際にそれをやるのは大変むつかしい。私、ただのフリーターだもの。グゥ。真っ当に生きていれば自己研鑽に費やすはずだったお金。もう真っ当からはおよそ逸れてしまったので、特に必要なくなってしまったお金。そう、要らないのよ。べ、別にこんなお金、惜しくもなんともないんだからね。まだ、ちょっとだけ、心のどこかで自分に期待しているから、いつかやってくるかもしれない自分復活の日に備えて取っておこうだなんて、これっぽっちも思ってないんだからね!

 

shirokuro-044.hatenablog.jp

 

もう石油掘り当てて財団作るっきゃねーな

 そうね、これは私が守銭奴であるとか、口だけの偽善者であるとか、そういうこと以前に、まだぼんやりと、自分を諦めきれないことによる躊躇なのね。でもやっぱり、目の前で乞われたら、きっとお金をあげるわ。目をキラキラ輝かせて私に夢を語って聴かせてくれる学生さんから、「でも自分には勉強するためのお金がないんです」なんて言われたら、おばちゃん、手に札束握らせちゃうわよ。上1枚だけ諭吉で、あとは英世だけどね。私にはまだ、己には必要なくなったものを他者の研鑽に供すると称して、自発的にお金をばら撒く勇気はない。でも、なんべんでも言うわ、こわれたら・・・・・ あげちゃうかもって。未来ある賢い学生さんに乞われたら。もしくは私が壊れたらね。

 

な……何の話してましたっけ!?

ウーム(ぐるぐる目)

 

 

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