やり込み方が分からないただひとつのゲームについての覚書|△人生はクソゲー ◎人生のプレイヤーがクソ
やり込んだゲームといえばズバリ
人生、かな……
夜勤明けのとろけた頭でも出来る全然難しくない暇つぶしゲームアプリ募集中
いや違う。これは嘘だ。私は少なくとも、人生を やり込んで はいない。総プレイ時間という点に関して言えば人生の右に出るゲームはない。しかし総やり込み時間という点に関して言えば、あらゆるゲームが易々と右に出て、しかも悠々と追い越していく。具体的に言えば、そうだな、最近ちょいちょい名前を出す機会がある「ポケットモンスター サファイア」。そしてこれも以前言ったと思うのだが、「塊魂」。毛色の違うものを挙げれば、大昔父親のパソコンで暇つぶしにやっていた「ソリティア」。未だにルールがよく分かっていない「マインスイーパ」。バスの待ち時間を潰すために始めたら意外とハマってしまった「LINE ポコポコ」。私の人生は暇つぶしの足元にも及ばない。だって人生やるより、暇つぶしの無料ゲームをやる方がよっぽど楽しいんだもん。
たくさんの人を怒らせて迷惑かけといてそれでもなお自己保身に走るその姿勢は尊敬するよ
人生のやり込みっていうと、色々な物事に挑戦することをいうのだろうか。それとも、ひとつの物事を極めることをいうのだろうか。もしくはどちらにも該当しない何らかの方法においてであろうか。どの定義であっても共通しているのは、「中途半端はロクなことにならない」ということだろう。中途半端にやるのと全くやらないの、どちらがマシかということについては意見が分かれるだろうが、私は後者だと思っている。時間の浪費が無い分よっぽどマシだと思っている。人間の時間が無限であったなら、中途半端でも別によかった。でも、人間の時間は無限ではないので。それに、中途半端は本人が損するだけではなく周囲にも損を振りまく可能性がある。中途半端なのは自分の中だけにして、少なくとも外に対してはきっちりケジメをつけること、もしくはそれに準ずる意志が必要になるだろう。「自分の中途半端のせいで人に迷惑をかけまくった」話を「自分は何に対しても中途半端にしかやることができない惨めな人間なんだ」という話にすり替えて自分語りされるのは心底好きではない。ブーメランが背中にいっぱい刺さりそうだが、それでもさ。
「次のゲーム持ってる?」
ゲームは、お金を出して買ったからにはやり込んでやり込んで骨も残らぬほどにむしゃぶり尽くすのが最もお得である。もちろん、ひとつのタイトルをあらかたクリアしたら次のゲームに移っていくようなやり方を否定するわけではない。純粋に、お得度の面から、そう言っている。もしも人間の人生が1本のゲームだったら、我々はただそれをやり込むしかない。ここにゲームは1本しかないのだから。しかし人間の人生が複数本のゲームだったら、次々に面白そうなゲームに鞍替えするのもアリというわけだ。時に我々は、その複数本のゲームのことを「生活環境」「ライフステージ」「新しい暮らし」「第二の人生」「転生したらスライムだった件」など、いろいろな言葉で呼ぶ。
宝くじ当たったらプレミア付いてる方のさよ教を買う
今のところ、私は意識して「次のゲーム」に手を出したことはない。大学を中退した時や前のバイト先が潰れたときなんかは間違いなく「次のゲーム」に移行しているわけだが、それは不可抗力というか半ば強制なので数には含めないでおこう。言うなれば、ゲームがクラッシュしたからやむなく「次のゲーム」をプレイせざるを得ないような状態だ。自分の意志で1本のゲームをやり込んだ記憶もなければ、自分の意志で「次のゲーム」に手を出した記憶もない。あー、あー。Amazonでプレミア価格がついてるゲームなんて、こいつらに比べたら大した金額でもないんだな。「次のゲーム」なんか、金で買えないんだぞ。