珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

近い…………覚書|前門のローソン、後門の大谷

なに言ってんだこいつ

やたら近くに人がいるなと思ったら大谷翔平だった

 

ないです

ローソンの店先で一服していたときのこと。視界の左端ギリギリ、肩が触れ合いそうなほどの超至近距離に人が立つ気配がした。え、あの、近くない?他に人がいるでもなし、煙草を吸いたいのならば私の右側にある灰皿を挟んで立てばよかろうに。ねえ近くない?ソーシャルディスタンスって知ってる?私の方が先にいたのだから、初めは意地でもそこを動くまいと思っていたが、あまりの近さに段々イライラしてきたので仕方なく場所を移そうとして、ただ場所を移す前にその厚顔を拝んでやろうと思い、左側を向くと、そこにあったのは大谷翔平の全身が印刷されたローソンの のぼり・・・ であった。ええ……。それまで反対側にそよいでいた旗が、風が吹いたのか私の方に流れてきて、ちょうど視界の端ギリギリに人がいるように感じられた、それで私は超至近距離に人がやって来たものと思って、ひどく不快に感じた、ところが実際それはただの旗で、大谷翔平であった。アホくさ。これブログに書く必要ある?

 

三神五朗(1889-1958)

もしも振り返った先に本物の大谷翔平がいたら、びっくりしてロサンゼルスまで吹き飛ぶかもしれない。もしも振り返った先に本物の大谷翔平がいたら、その時点でそれまでのイライラも不快感もなにもかも全部許してしまうかもしれない。その「許す・許さない」の判断基準が行為そのものではなくその人物次第というのはちょっとどうかとも思うけど、だって大谷翔平ですよ。もしも私に公正な心とちょっぴりの勇気があったなら、左後ろに立っていたのが大谷翔平だろうが田中将大だろうが村上雅則だろうが三神五朗だろうが、「もしもしあなた、周りにこれだけスペースがあるのにどうしてそんな近くに立つんです?満員電車じゃあるまいし、いきなり見知らぬ人間の背後にピッタリつけるなんて失礼にも程があります、不愉快ですから、少し離れてください」と一喝してやるのにな。でも現実だときっとそうはならなくて、振り返って、びっくりして、ただただ許すことしかできないんだろう。まあ大谷ならロサンゼルスまで吹き飛ぶくらいで済むだろうが、もしも振り返って左後ろに三神五朗がいたら、間違いなくそのまま失神すると思う。

 

私の預金額が78億円を超えたら考えてやるよ

人間と人間が十分な距離をとりあって生活するには、この地球という星は狭すぎるのではなかろうか。実際、日本人全員が十分な距離、我が国によれば2mだが、をとりあって生きようと思ったら、どのくらいの国土が必要なのだろうか?もっと言えば、世界中の人々が十分な距離をとりあって生きようと思ったら、この地球上にどのくらいの陸地が必要なのだろうか?私は自分の預金額より多い数を数えたことがないのでよくわかりませんが、きっと頭のいい人が計算してくれることでしょう。もしも地球上に土地が足りなければ、我々は他の星に移住するしかないのかな?それとも、我々は我々の上に積み重なるしかないのかな?

 

合理的平和主義です

互いが近づきすぎたせいで生じた故障を、更に近づくことで修理しようと試みる、世の中にはそんな人たちがいるらしい。アイヤ、これぞ不器用の極み。いやまったく、距離を取ることを知らない人たちは大変だなあ、と思う。決して近づくことだけが人間じゃないはずなんだけど、かといってですよ、近づくことしか知らない人たちが、離れることを知らない人たちが、故障してなお近づくことしかできないのは、至極当然のことなのだろう。近づくことしか知らない人たちが苦しんでいる姿を見るたびに、この世において離れることしか知らない人たちは恵まれているんじゃないかと錯覚する。私は街中で喧嘩している2人を見ると、ついつい「喧嘩するくらいなら別れたらいいのにな」などと考えてしまうのだが、そうはいかない道理があるんでしょう?私にはよくわからんけど。私は生まれてこの方連れ合いが欲しいと思ったことがないんですが、その理由のひとつとして、私は他人と喧嘩をするのがすごーく嫌なので、僅かでも喧嘩の気配を感じたら直ちにその場から離れるのがいちばんかしこいやり方だと思っている節があり、要するに「いつか喧嘩をすることに備えてあらかじめ別れておきましょう」というメチャクチャな持論なんですが、でもこれ、結構合理的じゃないですか?

 

九面楚歌

昨日件のローソンに行ったら、大谷の旗がNiziUの旗に変更されていた。9人もいたら流石にすぐ気づくと思います。

 

 

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