珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

邪悪なものの邪悪なものによる邪悪なもののための読書感想文についての覚書|なんでや人参関係ないやろ

鎮まれーい!鎮まれーい!鎮まれーい!鎮まれーい!

ウム。実によい本を買った。ブックオフのウルトラセールでの話。私はいつまでブックオフのウルトラセールの話題を引っ張るつもりなんだろう。それはさておき、その実によい本というのは、バジリコ株式会社なるよくわからない発行会社から出版されている木星叢書なる耳慣れないレーベルの、内田樹『邪悪なものの鎮め方』である。こんなんタイトル買い不可避やんけ。みんなも鎮めたいでしょ。邪悪なもの。私はすごーーーく鎮めたいよ。しかもこの本、装丁がとてもよい。白地に黒の大きな台形、その上にタイトル、右上に謎の黒丸。これだけ。実に私好みだ。帯に書いてある「先生、邪悪なものと出会ってしまったら、どう対処すればいいんでしょうか?」という文章が、これまた購買欲を誘う。それで、これが200円コーナーに放り込んであった。買うしかないね。

これは文庫版。単行本のシャープな雰囲気とは打って変わってなんだか年配者向けのほんわか人生訓みたいな表紙になっているのが残念極まりない。そのまるまるころころしたタイトルフォントはなんなんだよ。この本自体は結構トンガっていると思うのだが。

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こちらが単行本版の表紙。どうしてこれがああなるんです?

 

に…………………………にんじん

一口で言えば、コラム集である。元は筆者のブログ記事から来ているということで、文体もさっぱり軽め。一つのタイトルあたり5分~10分ほどでサックリ読める。もちろん中には共感しかねる部分もあったが、それ以外は概ねわかりみが深く、付箋を叩きつける手が捗った。結局この世で邪悪なものつったらアレしかないもの。アレですよアレ。ほら、「に」で始まって「ん」で終わる4文字のアレですよ。読むのは1日一タイトルにしようと決めていたのだがなんやかんやで一気に読んでしまった。強いて物申すならば、文章中のキーワードと思しき語句がアレもコレもやたらめったらカギカッコで囲まれており、そのせいで少々目がつっかえるところが難点か。うなぎ屋に行って大変美味なうなぎ丼に大満足しつつ喉に刺さったうなぎの小骨と共に店を出たときのようなあの感じ。どんな感じやねん。カギカッコの多用に関しては私自身エラそうに言える立場ではないけれど。気をつけます。

 

10年前の自分に10年後はパンデミックで世界がヤバイよって言っても信じてもらえないと思う

「ゾンビの教訓」なる節において、2009年にインフルエンザが流行したらしい時に書かれたその内容が、コロナ禍あるあるとも言うべき状況描写のオンパレードで、あまりの合致具合にびっくりしてしまった。例えば、

たしかに街の人出は少ないし、歩いている人も大半がマスクを着用している。学校が休校なので、電車もがらがらである。しかし、こういう事態を指すときに「パニック」とか「都市機能の麻痺」という言い方は不適切であろう。現に、感染力の高いインフルエンザが蔓延して全国に拡がりつつあり、行政当局が「外出を自粛し、手洗いうがいを励行せよ」とアナウンスしているのを「そのまま」遵守している市民をつかまえて「騒ぎすぎだ」と言うことは論理的ではない。

2009年、インフルエンザ流行時の話です

 

仮に市民たちが「マスクを無料配布しろ」とか「医療費をすべて無料にしろ」とか「休業補償をしろ」とか言い出したというのなら、たしかにこれは「パニック」である。でも、街の人々は自前でマスクを買って着用されており、自己負担で感染を予防されているのである。

繰り返すようですが2009年、インフルエンザ流行時の話です

 

だが、「感染のリスクが高いから外出を自粛してください」という公的アナウンスを解除するときに可能なロジックは、「感染のリスクが低下しましたので、外出してもいいです」以外にはない。「感染のリスクは引き続きありますが、みなさんがじっと家にこもっていると、モノが売れないので、外に出て、消費活動を始めてください」という言い分は、疫学的には逆立ちしても導出することのできない言葉である。

何度でも言いますが2009年、インフルエンザ流行時の話です

 

占いとか予言ってのは世の中の「まあだいたいみんなそうやろ」「そりゃいつかはそうなるやろ」をかき集めたものだから……

まあ、合致しているという言い方はあまり適切ではないか。病気が流行したら、既存のインフルエンザだろうが新型感染症だろうが、今の世の中はだいたいこういう道筋を辿っていくしかないもの。こういう道筋を辿ることしかできないもの。10年前に書かれた文章が10年後の社会の様相とあまりにもピッタリなために、一瞬予言のようにも思えてしまうが、冷静に考えればこれらの文章も「こう辿るしかない道筋」の域を出るものではない。それがめちゃくちゃ的確なのは事実だけど。最後の「疫学的には逆立ちしても導出することのできない言葉」が世界の口からほぼほぼ出かかっていて、ただスッパリとは出し切れずに、言葉の最後の切れ端だけがほんのちょっぴりエライ人の舌に張り付いて残っているような状態に、今はあるんだよなあ。仕方ない。

 

「友達になれそうな本」ってかんじ

ブックオフでパラパラ捲っていた時点でビビビと来ていた。なんかこう、すごく、ウーン、なんていうの、奇妙なシンパシーを感じる本だった。思想が似ているとか信条が同じとかそういう具体的なことじゃなくて、なんていうんだろう……なんかとにかくこの本の雰囲気全体が『合う』んですよね。私と。めちゃくちゃ不遜な物言いが許されるのであれば、「私のブログが好きな人はこの本のことも好きだと思う」。イヤイヤいくらなんでもその言い方ってどうなの。相手は東大卒の大学教授やぞ。これではあまりにも高慢が過ぎるので、「この本のことが好きな人は私のブログも好きだと思う」と言い換えておきましょうか?この本が好きな人、私のブログも読みに来てくれないかしら。

 

 

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