珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

一!生!懸!命!な覚書|やめてくれその一生懸命は私に効く

お取り扱いしたら店長が爆発しますとか多分そんなん

ハァー。今日も一生懸命だ。今日も一生懸命この世にいるのだ。今日も一生懸命死んでいないのだ。今日も一生懸命残り時間を消化しているのだ。今日も一生懸命終わりの日へと近づいているのだ。今日も一生懸命己の肉体を取り扱っているのだ。今日も一生懸命心臓が動いているのだ。今日も一生懸命息をしているのだ。今日も一生懸命生殺与奪の権を他人に握らせてないのだ。今日も一生懸命全力で白黒はぐろ ちゃんを遂行しているのだ。今日もことばは色々にある。今のところそれを表す言葉に不足したことはないし、かといって過剰に陥ってもいない。ただし諸般の事情により、「今日も一生懸命生きているのだ」につきましては、現在当店ではお取り扱いが出来ません。ご了承ください。

 

最早断頭台に連れて行かれるだけの価値もないということかしら

一生懸命一生懸命と喚いている割に、つい先日「そういえば命懸けたことなかったな」という主旨の記事を書いたばかりなのであった。もう忘れたんですか?どちらかといえば、私は「一生懸命」よりも「必死」の方がお似合いだな。ウム。ルーレットテーブルのベッティングエリアに命を置いてホイールの回転をじっと見つめているよりも、砲身に命まるごと詰め込まれて点火即射出される方が私の性に合っていると思う。命を懸けたり、必ず死ぬという覚悟を持ったり、人間は大変ですね。しかし以前の記事でも書いたとおり、少なくとも現代日本に生きていたら、「一生懸命やります」と宣言してそれが結果に結びつかなかったとしても断頭台に連れて行かれることはないし、「必死にやってます」と言い放ったのち本当に死んでしまう人間はそんなに見かけない。ゼロとは言いませんが。

shirokuro-044.hatenablog.jp

 

あの世で生きていることは「生きている」のか「死んでいる」のか

「一生懸命やります」と言っても懸けられた命はここに残っているし、「必死にやってます」と言っても必ずしも死ぬことなくここに残っている。懸けられた命が翌朝には降ろされてその晩にはまた同じ場所に懸けられたりしているし、噂によればあの人はもう何べんも何べんも「必ず死ぬ覚悟」で死地に臨んでは毎回生還しているらしい。人間が案外柔軟かつ頑丈な生き物で安心した。人間は案外柔軟で、頑丈。何故というに、人間は人間以外の全てをかたくて脆いものに変える能力を秘めているからだ。柔軟になるのに自らを柔らかくする必要はないし、頑丈になるのに自らを強くする必要はないのだ。自分以外の全てをかたくして、自分以外の全てを脆くしてしまえばそれでよいのだ。

 

ヨシ!

ああそう、それで、ええ、何の話だったか、生きてますと胸を張れるほど生きてはなくて、でもこの世にはいてますし、死んではないですよって話だった。生きているのではなくして生命を維持しているのだという旨の言い回しが、生きているということを決して素直に認めないたぐいの言い回しが、生きてはいないけどちゃんとここにいますよという手合いの言い回しが、この世にたくさんあってよかった。

 

 

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