珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

人間の平凡な日常を淡々と描こうとして失敗する覚書|紙とペンとインクがストライキを起こしそうな試み

このブログはフリーターの平凡な日常を淡々と描くものです

球漫画を描こうと思ったら野球のことを知らねばならぬし、任侠映画を撮ろうと思ったら任侠のことを知らねばならぬし、人間の平凡な日常を淡々と描く小説を書こうと思ったら、人間の平凡な日常のことを知らねばならぬのだ。ギエー!ハードルが高すぎるッピ!とはいえ人間の平凡な日常になら自分も身を浸していることだし、ヤマもオチもイミもない掌編小説くらいならチョチョイと書けそうなものだが、などと抜かして人間の平凡な日常を淡々と描こうとしたが最後、「はて、人間の平凡な日常とは一体なんぞや?」という迷宮に迷い込んで、当面の間はそこをぐるぐる旋回する羽目になる。はて、人間の平凡な日常とは一体なんぞや?日常とは?平凡な日常とは?人間の平凡な日常とは?人間とは?自分が今まさに浸かっている水が真水なのか海水なのか泥水なのかはたまた水酸化ナトリウム水溶液なのかも分からぬままにチャプチャプしておる故。我の周りを満たしておるこの不可解な液体は一体何なのか?誰かリトマス試験紙を持て参れ。パンパン。

 

過度な期待はしないでください

人間の平凡な日常を描いた小説なぞ書けそうにもないが、人間の平凡な日常のひとつ、例えば顔の洗い方なら書けるかもしれない。えー、まず洗面所に行きます。髪が長い人は髪をゴムで縛り、必要ならばヘアバンド等を装着しましょう。それで、えー、蛇口を捻ります。水の温度はお好みですが、ぬるま湯がよいとされています。で、手のひらをお椀の形にして、蛇口から出てきた水を受け止め顔に叩きつけます。一旦洗面器に水を溜めるのもよいです。で、えー、洗顔剤を使う人は一旦手と顔を拭いて、洗顔剤を泡立てて、顔に塗りたくります。ゴシゴシしない方がよいとされています。ある程度洗ったら、再び蛇口から出てきた水を顔に叩きつけるか、洗面器に溜めた水を顔に叩きつけます。ここで顔に泡が残っていると肌荒れ等の原因となるのでしっかりすすぎましょう。そして、えー、泡を流し終えたら清潔なタオルで拭きます。ここでもゴシゴシしない方がよいとされています。どうですか?書けてますか?

 

自分がどうやって歩いているかを意識しすぎるとうまく歩けなくなるみたいなことを聞いたことがあるが人間の平凡な日常を意識しすぎて人間の平凡な日常がうまく出来なくなったら困りものだ

人間の平凡な日常は、こういう行為の積み重ねで出来ている。かといって、こういう行為をいくら描いたってちっとも面白くない。何時何分にトイレに行きましたとか、お湯を沸かしましたとか、靴を履きましたとか、そんなことをつらつら述べたってどうしようもない。ましてや、自分がどのようにトイレに行ったとか、どのようにお湯を沸かしたとか、どのように靴を履いたとか、そんなことを書いたって、なあ。推理小説とか、ジャンル次第ではそんなどうでもいい描写こそ重要になるということもあるだろうが、これ、人間の平凡な日常を淡々と描く小説ですからね。ごはんを作りました、はまだ面白くなる余地が有る。ごはんを作る過程はなかなか見所も多い。散歩に行きました、も同様である。サッカーをしました、もそんな感じですね。かといって、ごはんを作っている光景を延々描写したり散歩している光景を延々描写したりサッカーをしている描写を延々描写しても、だんだんくどくなってくる。やはりほどほどのところで切り上げて、途中で麦茶を飲みましたとか、ちっとも面白くないことを挟んで場面転換を試みるべきだ。ウーン。日記ですね、これ。

 

キャロライナ・リーパーとヒング・アサフェティダを入れろ!

人間の平凡な日常にスパイスを加えて面白くしようとしたら、人間の平凡な日常ではなくなってしまう恐れがある。それはよろしくない。人間の平凡な日常に余計なスパイスを加えずして、面白く味わう方法はないものか?一切の調味料なしでおいしい料理を作るというのは、素人には甚だ難しかろうが、料理のプロであれば、出来たりするんだろう。それって人間の平凡な日常のプロにならなきゃダメ……ってコト!?

 

つまらないギャグは面白い理論

私のようなつまらない人間からすれば、平凡を面白くすることほど難しい手口もないわけです。一体何をどうすれば、平凡が、面白くなるんだ?平凡は、つまらないから平凡なんじゃないのか?面白い平凡は、最早平凡ではないナニカなのではないか?……でも実際、面白い平凡ってあるんですよね。私はそんなものを見たことがないのでよく分からないんですけど。平凡な人間だって面白く生きられるんですよね。私はそんな経験をしたことがないのでよく分からないんですけど。