人間ロボット人間とロボット人間ロボットについての覚書|ロボットを並び替えると人間になるしその逆も然り
はあ 何も思索しなくていいというのは幸せなことだなあ
人間にユートピアは500000000000000兆年早い
何も思索しなくていいというのはある種の幸せだし、逆に何かを思索してよいということはある種の幸せだ。この理論で行けば、人間生きてる限りだいたいある種の幸せに浸り続けることができるはずなのだが、そうはならないのが悲しいね。理想を言えば、こうだ。「あなたは何も考えずに決められた職務をただひたすら淡々と繰り返していれば、適切に評価され、適切な報酬を得ることができる」。もしくは「あなたはあなた自身の考えに基づいてあなたらしく職務をこなしていれば、適切に評価され、適切な報酬を得ることができる」。
ロボットに自我が生えたら概ね人間だし人間から自我を引っこ抜いたら概ねロボットなので我々は案外自由に異なる二つの種族を往復できるのかもしれないな
人間に求められているものがロボット性なのか人間性なのか分からなくなってきたぞ。世の中は、ロボットのように与えられた職務を淡々とこなしつつ人間のように自分の頭で考えて行動する生き物が欲しいわけでしょう。ロボットのように働く人間、もしくは人間のように働くロボットが欲しいわけでしょう。ウン。ウーン。ウウーン?ああ!いや、いや、そういえばすっかり忘れていました、そんな子供っぽい理想はとうの昔に廃棄されたんでした。かつての理想は既に現実となりました。今の世の中は、人間ロボットのように働く人間、もしくはロボット人間のように働くロボットを欲しているんでしょう。きっと。彼らは我々一般ピーポーの預かり知らぬところで、来る日も来る日も人間ロボット人間やロボット人間ロボットの設計図を描いているのでしょう。飽きもせずに。
スゥシィ、テンプゥラ、タメィゴゥ
もうあんまり書く事もないので、人間ロボット人間について考えましょう。区切るところは人間ロボット/人間です。人間ロボットっていうのは、人間のように働くロボットのことです。人間のように働くロボット、のように働く人間、がすなわち人間ロボット人間です。混乱してきましたか?私もです。一言で言えば、人間の真似事の真似事といった感じでしょうか。妙な例えを挙げるなら、英語の授業で英文を音読しているときに、英文中の日本語をついついカタコトで読み上げてしまうようなアレですよ。アレも一言で言えば日本人の真似事の真似事です。「sushi」を「スゥシィ」と読むのは、外国の人ですね?で、我々日本人が同じように「sushi」を「スゥシィ」と発音したならば、それは外国の人の真似事になりますね?で、こう言うと語弊があるかもしれませんが、外国の人は日本人の真似事をして発音しているわけですよね?だから、我々日本人が「sushi」を「スゥシィ」と発音するのは、日本人の真似事の真似事です。何の話でしたっけ?
ナユタン星人みがある
ついでなのでロボット人間ロボットについても考えましょう。区切るところはロボット人間/ロボットです。ロボット人間っていうのは、ロボットのように働く人間のことです。ロボットのように働く人間、のように働くロボット、がすなわちロボット人間ロボットです。混乱してきましたか?私もです。一言で言えば、ロボットの真似事の真似事といった感じでしょうか。妙な例えを挙げるなら、以下同文です。
読点打ち検定1級の問題です
上二つの段落が何の説明にも考察にもなっていないのはご愛嬌ってことで。まあなんじゃ、何も考えなくていいロボットのように生きながら何かを考えていなければならない人間のように生きろという、先時代の理想の時点でだいぶ無茶を言っていますが、何かを考えていなければならない人間のように生きるロボットのように生きながら何も考えなくていいロボットのように生きる人間のように生きろというのは、もう相当に無理があると思いますよ。