珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

たくさん動いてなにもしなかった覚書|たいへんよくなにもしませんでした

あー忙しくない忙しくない

いやあ今日はよく動いたなあ。よく動いた。忙しかったわけではなく、むしろ心配するくらい客の入りは少なかったが、それにしてもよく動いた。働くことは健康に悪いが、動くことは健康にいい。いつものぬかるみにどっぷり沈み込むようなねばっこい疲労感ではなく、スポーツに勤しんだあとの制汗剤香る爽やかな疲労感に近いね。スポーツに勤しんだことないけど。

 

ずっと動いてたはずなのに「今日なんかしたっけ……ダメだなんも思い出せん……」ってなるの多分記憶を奪われてますよねコレ

何をしていたかと訊かれると、ウーン、何をしてたって、そりゃあ……まずいつもの仕事をいつも通りに……そんで普段より多少時間と余力があったから細かい掃除とか店内備品の補充なんかもしちゃったりして……しかしながらこれといって特筆すべきようなことは何も……でも、よく動いたことは確かなのである。よく動いたけど具体的に何をしていたかと訊かれるとうまく答えられない。こういうこと、わりとよくある。色々してたんですよ。色々。ホントに。サボってないし、内職もしてないし、めちゃくちゃ色々してたんだけど、でもうまく説明できないっていうか、胸張ってこれをしましたって言えるほどのことはしてないんだけど、なんというか、ひとつひとつは取るに足らない小さな仕事だけど、集めて捏ねて丸めたら大きなひと仕事になるようなことを……え?だからサボってないですってば!

 

雑用魂

色々した。いちいち数え立てるほどのことは何もしていない。でも、色々した。色々したんだ。色々して、よく動いたんだ。もうちょっと具体的に書き並べてみようじゃないか。例えば、朝のトイレ清掃がラクになるよう深夜のうちにトイレ清掃をめちゃくちゃ丁寧にやったりとか、最近忙しくて出来なかった床掃除も丁寧にしたし、店中の洗剤や消毒用アルコールの補充もしたし、あと散らかってたバックルームの片付けをして、溜まってた事務仕事をやって、日中に備えてレジ金の両替もして……ハイ。こうやって並べてみるとほんと取るに足らないことばかりだな。でも色々やったんだよ。これだけじゃない。他にも色々やったんだ。ひとりで店中走り回って。こんな感じで自分では色々やったつもりだけど、具体的に何を色々やったんだと聞かれても胸張って言えることがひとつもなくて、そうなると当然相手も「ふーん」としか返しようがないっていう。「イヤイヤ待ってくださいよ、コレもやったし、ソレもやったし、あとアレもやったんですよ、それに……」といった具合にその中身を挙げ連ねれば連ねるほど、「アレ?こうしてみると全然大したことしてないな?」って段々自信が無くなっていくの。

 

少年よ小志をたくさん抱いてもロクなことにならないぞ

「小さな仕事をたくさんたくさんやりましたよ!」っていう無邪気な頑張りアピールが許されるのは、一体何歳までなんでしょうか。大人になると、「大きな仕事をひとつやり遂げましたよ!」じゃないと聞く耳持ってもらえなかったりするでしょ。「普段の業務を全てやった上でさらに店中のあちこちを掃除して備品の補充も済ませました!」よりも、「普段の業務は何ひとつ終わってないけど使用不可になってたトイレの修理を済ませました!」の方が明らかに歓迎されるワケ。そりゃそうよ。だって前者は、いつでも、誰にでも、簡単に出来ることの寄せ集めでしょう。一方後者は、知識や技術のある人にしか出来ない、特別なひとつの大仕事なわけでしょう。1を寄せ集めて100にしたものよりも、それ単体で100であるものの方が、当たり前かもしれないけど、ウンと価値があるのよね。それで、結局自分には1を寄せ集めて100にすることしか出来ないんだって、それ単体で100であるものを人に差し出すことはきっと一生叶わないんだろうなって、考えると悲しくなるなあ。