お喋りヘタクソ選手権についての覚書|今思い返せばアレは燈滅せんとして光を増す的なやつだったのかもしれない
パン屋さん行ったらちょうど店員さんが目当てのパンを並べ終えたところで横から手を伸ばして取ったらお姉さんにそのパンおすすめですって言われたからニコッと笑って「先日も買って美味しかったのでまた買いに来ました」ってすごくスムーズに言えたんだけどこの返しは社会的人間としてパーフェクトじゃないですか?
もう社会的人間として何も思い残すことはない
書いてて可哀想になってきた
普段の私だったら絶対こうなってたと思う。「あっ、こっ、こないだも……買ったんですけど………………(店員さん:『ありがとうございます!』)アッ!?いえ、美味しかったのでまた……ヘへ、す、すいません」。こう。うーんアカンやつやこれ。文章にすると想像以上にキモくて凹む。でも絶対こうなるから。世界一いらない解説をすると、会話の入りは絶対「あっ」で始まるし、「先日」なんてカッコイイ言葉が出てこなくて「こないだ」になっちゃうし、それも最初の一言はだいたいつっかえるから「こっ、こないだ」って言っちゃうし、うまく言葉が続かなくて「買ったんですけど………………」で一旦黙っちゃうし、その間に店員さんが多分お礼言ってくるだろうと想定すると、そのお礼に対してめちゃくちゃビビって恐縮した結果「アッ!?」が出ちゃうし、「また買いに来ました」が出てこなくて「また……」で切れちゃうし、それを誤魔化すために無理矢理「へへ」って笑うし、最後の「すいません」に至ってはほぼ無意識だし、それもつっかえて「す、すいません」で〆ることになるんだから。私知ってるんだから。私、私さんとはもう29年の付き合いになるので。それくらい、分かるんだからね。
いつの話をしているんだお前は
次の言葉がなかなか出てこない理由っつったら、アレしかないわな。普段からあんまり人とお喋りしないから。これに尽きるね。バイト中に同じアルバイトの人と交わす業務連絡と世間話、それと買い物に行った時にレジで店員さんに一言二言訊かれた際の「お願いします」と「いえ結構です」、これが私の日常生活におけるお喋りの全てだもの。そりゃ言葉も便秘起こすわ。やっぱり日頃からたくさんお喋りしとかないといざお喋りというときになって盛大に困るんだ。「アレ……?自分こんなに言葉が出てこないタイプの人間だったっけ……?」などと。昔はこれでもペラペラペラペラ喋ってた方だったから、一層そう感じるんでしょう。こんなはずはない、もっと自分はお喋りできるはずだ、だってほら、休み時間や休日には友達とたくさんお喋りしたし、放課後は学童保育所で先生とたくさんお喋りしたし、夏休みは図書館と事務室に入り浸って司書教諭のお姉さんや事務員のおじさんとたくさんお喋りしたし、そうお喋りを……たくさん……したし……
オシャビリ
やべえよやべえよ。お喋りの仕方をいよいよ忘れつつあるよ。やべえよやべえよ。ちょっと誰かと、こう、お喋りのリハビリしなきゃ。いやそもそもお喋りってナニ???よくわからんがとにかく金払ってでもお喋りしなきゃ。どこで?お金を払ってお喋りするお店といってすぐに思い浮かぶのはアレとかアレですけどその手のやつはノーカンでお願いします。すってんてんになってしまいます。かといって誰かをタダで私のお喋りのリハビリに付き合わせるなんてとんでもない。店員さんとお話するためだけに来店してタダで毎日長時間店員さんを拘束する迷惑な年寄りみたいには絶対ならないぞ私は。バイト先の近くにあるdocomoには毎朝開店待ちの列ができてるけど並んでるのがジジババしかいないってマジでどうなってんの?docomoってどこもそんなもんなのか?それはいいとして、普段皆さんはどうやってお喋りの仕方を忘れないだけの十分な会話量を維持しているんですか?それに毎月いくらくらい支払ってます?差し支えなければ教えていただきたく……えっ?タダ!?
敢えて愛情って言わない 愛情は金で買えそうだから
友情や親愛があれば、お喋りをして頂いたからといって、こちらからいちいちお金を支払う必要はないんですねえ。またそれらを築く過程においても特別お金を支払う必要はないんですねえ。時間と、相手を思いやる心と、お互いを認め合う心と、あとなんかそれっぽい心さえあれば、お金なんかこれっぽっちも支払う必要はないんです。それで毎日、あるいは時々、お喋りをして、時には喧嘩もするでしょうが、たったひとつの友情や親愛があれば、タダで楽しくお喋りの練習をさせて頂いた上に、なぜかお釣りまで返ってくるという有様です。こっちは1円たりとも払ってないのにどうしてお釣りが返ってくるんでしょう?それは友情や親愛の味を知っている人だけが知っていますね。
この辺りでやってないの君くらいだよって言われて膝から崩れ落ちるパターン
これまでちょっとの努力さえあればタダで手に入るものを手に入れる努力をしてこなかった故に、今頃になって金を払ってでも手に入れなきゃとか言ってるのホントウケますね。これも言うだけなので安心してください。少なくとも今の私はひとりで過ごすことが大好きな人間なので、今更どうもこうもしません。無人島に越せるだけの金があるならとうの昔にそうしてます。でもどれだけひとりで過ごすことが好きと言っても、今の私が無人島ではなく日本島で暮らす社会的人間である以上、社会で労働しなきゃならんので、お喋りの方法をきれいさっぱり忘れてしまったら、生活が立ち行かなくなって、ひとりで過ごすことすら出来なくなるのです。適度な運動と適度なお喋り、この2つはどちらも健康に効くし、生活に効くし、人生に効くし、死以外のだいたい何にでも効きます。効くうちが花。みんなもやろう。