珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

あなたへのおすすめについての覚書|こうかは ばつぐんだったりこうかが ない みたいだったりするアレ

Amazonとか楽天とかYahooショッピングとかの検索履歴から商品を提示してくるマッチング広告ってあるやん?

あれって検索後にそのまま購入したユーザーに対する攻撃力がほとんどないのカワイイよね

 

効いてるじゃん

あの手の広告は、「検索したはいいが購入するか決めあぐねている状態」のユーザーにはテキメンに効くが、「検索し購入まで済ませた状態」のユーザーにはてんで効かないところがカワイイと思う。もう買ったっちゅーねん。いいっちゅーねん。ワイヤレスイヤホンのおすすめは。まだそこまで踏み込んでくる気はないのね。踏み込んできたら来たでお前私のことをどこまで知っとんねんって話になるのでちょっと問題ですけど。「コイツもうこの商品は注文しやがったな、じゃあ別のジャンルの商品おすすめしたろ」って……お前は私の身内か何か?まあそれだけならいいのだが、時々「広告が提示してきたこの商品……私がついさっき注文したやつより……良さそう……」ってやつがあって、アレマジで腹立ちますね。やめろ。見せるんじゃない。私がつい今しがたポチった商品より安くて高性能そうな商品をおすすめしてくるんじゃない。ほんとやめろ。マジで。やめてください。お願いします。

 

人生に似てますね

ハァ。まるで人生みたいで嫌になっちゃうね。どうしてもっと早くに教えてくれなかったのかって。責任転嫁の極みですけど、そう思いたくなるのが人間ってモンよ。知ってさえいたら。知ってさえいたならば!世の中にはおびただしい数の選択肢があるが、我々にはその全てを閲覧する時間も権利も存在しない。その時点で自分が辛うじて閲覧できたものの中から、使う権利のあるものの中から、選ばなくてはならない。いつもそうだ。選択なんてものは、結局タイミングと運がデカいんですよね。タイミングと運って実質同義かな?本人にいくら選択力、慧眼があっても、タイミングと運が悪けりゃ、どうしようもない。

 

でもあんまりたくさん私のことを知ろうとするのやめてほしい 好きになっちゃうでしょ

最近はちょっと素直になったので、マッチング広告の提案に乗ってやってもいいかなって思うことがしばしばある。なんかこう、マッチング広告の提案に素直に乗るのってあいつらの思うツボって感じがしてとてもイヤだったんですけど、こいつらも頑張ってるし、中の人はそれ以上に頑張ってるだろうし、まあいいかなって。あなたへのおすすめ?ほーん。見てやろうじゃないの。みたいな。あれは正直「お節介」「いらん世話」の類に放り込んで差し支えない代物だと思うが、「お節介」「いらん世話」に対して寛容になれる程度には大人になった。現実世界を除いてな!!!ワハハ!!!

 

淡い暖色のゆるふわ系が好きな母vsモノトーンのカッチリ系が好きな娘

インターネット世界では寛容に許せることも、現実世界ではンア~~~ってなることが多い。普通に買い物してただけなのに突然自称コンシェルジュの人が隣に立って「あなたへのおすすめ!あなたへのおすすめ!」ってやってきたらンア~~~~ってなりますわな。ならない人は多分デパートの外商客かなにかです。そういうのに慣れてる人です。よかったらお金ください。大昔はおかーちゃんと服を買いに行って、「アンタこれいいんじゃないの!あっこっちはどう!?」って全然好みじゃない服ばっかりおすすめしてくるのにンア~~~~ってなってましたね。ところが私が大学生になった辺りから急に私のめっちゃ好みの服をチョイスしてくれるようになって、そのままお買い上げすることさえ珍しくなくなった。人が人の好みを完璧に理解するのには18年かかる。一緒に暮らしていた家族であってもそうなんだから、他人同士は大変ですわコレ。