珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

空想的自給自足についての覚書|大学生の頃レンチンしたじゃがいもばっかり食ってた時期があった レンチンしたじゃがいもはうまい

自給自足したいけど自給自足したいわけではなかった

などと供述しており

 

こいつまた『空想から科学へ』読んだな

あ~~~いいよな~~~自給自足。憧れるよな~~~自給自足。やっぱ行き着くべきは自給自足だよ自給自足~~~。などということを人がエアコンの効いた部屋でカップラーメンを啜りつつパソコンに向かってAmazonでポチポチ買い物をしながらほざいているとき、当人の頭の中には自給自足というものの最も理想的な形、自給自足の麗しきお花畑が展開しているのであって、かの有名な政治学用語を借りるならば、「空想的自給自足」とでも呼んで差し支えない代物である。これにはエンゲルス先生もニッコリ。イヤイヤもうちょっと現実的に考えましょうや。「どのような自給自足をやるか」ではなくて、「どのように自給自足をやるか」を考えましょうや。時代は……そう!「科学的自給自足」だ!もっと現実を見ろ!どうやって自給自足するか考えろ!もっと現実を!実践を!現実的な過程を!実践可能な手法を!現実を……現実を……

 

正直人生で一度はじゃがいも育ててみたい

どうせ自給自足なんてする予定はこれっぽっちもないんだから、自給自足にユートピア的空想を抱いてもよいのではなくて?そうですね。自給自足生活に思いを馳せるにあたて、どこの土地をおいくら万円で購入するとか、便所はどうするとか、洗濯はどうするとか、寝床はどうするとか、そんなことを真っ先に考えたってあんまり面白くないものね。真っ先に考えるならやっぱり……自家栽培!自家栽培について考えるのがいちばん楽しいでしょ。人参が採れたとか、じゃがいもが採れたとか、そういうことを考えるのがいちばん楽しいよ。その次は自家栽培した食べ物を料理すること。じっくり焼いて、塩だけでいただくんだ。サイコーだね。そんでその次は……余暇時間の過ごし方だ。私はテントの中でごろごろしながら本を読むね。ネットはできないし。どこから本を仕入れるんだって、まあそのへんはどうにでもなりますよ。別に完全完璧な自給自足をしようってんじゃない。どこからともなく手に入れた土地で、どこからともなく手に入れた知識を駆使し、どこからともなく手に入れたサバイバル能力を遺憾無く発揮しつつ、どこからともなく手に入れた月に3万くらいの日本円で毎月少しずつ身の回りを充実させながら、どこからともなく手に入れたネコチャンと楽しくやろうってことを、考えてるわけですね。

 

パパパパパー

空想的自給自足の実現には、どこからともなく手に入れたものたちが必要になるわけですね。それもたくさん。いつからあったのか分からない。どこで拾ったのか分からない。でも、ここにあった。そういうものがたくさんないと、空想的自給自足なんかやってられないわけですね。もちろん土地も、知識も、サバイバル能力も、月に3万くらいの日本円も、ネコチャンも、どこからともあるように手に入れることはできる。頑張れば。でも私は頑張りたくないからこそこんなパッパラパーな空想に浸っているのであって、パッパラパーな空想の中で頑張ったら意味がないんですよ。何回でも言うけど、どうせ自給自足なんてする予定はこれっぽっちもありません。存在しない予定の中に頑張る予定を組み込むなんて野暮ですよ。野暮。

 

はてなブログ空想的自給自足部

活動内容。週に1回、あるいは月に1回、あるいは年に1回、空想的空想的自給自足自給自足をする。これは別に誤入力でもなければ誤コピペでもなければハードウェアグラフィックアクセラレータが有効になっているわけでもありません。「空想的、空想的自給自足、自給自足」です。まず空想的自給自足を空想します。それを自給自足します。おわり。ワケが分かりませんか?私もです。ちょっと言葉を変えましょうか。理想の生活を想像します。それだけで満足します。おわり。えーと………………はい。私もです。