珈琲三杯|思索のための思索

限界フリーターが毎日の思索を書き綴る。手帖の代わり、或いはゴミ箱。

人の理解とポーカーフェイスについての覚書|ガガ様すき

これ伝わる人にだけ伝わればいいんですけど

帰りのバスの中でレディー・ガガの「Poker Face」をそこそこの音量で聴いていたらバスの後方でキャッキャしてた小さい男の子が急に「ぽぽぽぽ!!!」って叫びだしてクッッッッッソ焦った

 

やっぱり伝わらない人にも伝わってほしいからMV貼るわ


www.youtube.com

ぽぽぽぽ

 

このMVのガガ様可愛すぎて永遠に見てられるんだよなあ

「伝わる人にだけ伝わればいい」って言葉には、色々な含みがあるよね。例えばこう、「伝わる人が1人でも多ければ嬉しい」とか、「100人いたら25人くらいには伝わるだろう」とか、「伝わらない奴はお呼びじゃない」とか、「流石に1人くらいは伝わる人がいるよな?」とか、「もし誰にも伝わらなかったらどうしよう」とか、「まあどうせ誰にも伝わらないんだろうが」とか、なんかそういう色々な感情が。色々。

 

お前……どこの人だ?

人の口から出る「理解されたい」はまこと複雑怪奇ですけェ。「理解されたい」と言いながらも、あまりにたくさんの人から呆気なく理解を示されると、ウーンなんか違うんだよなあって思ったりもする。理解されたいにはされたいのだが、そう簡単に理解されては困る。何故なら、あまりにたくさんの人から呆気なく理解を示されると、自分の考えや悩みや苦しみがただのチープなもの、普遍的なもの、凡庸なもの、つまらぬもの、取るに足らぬものに成り下がってしまうからである、イヤ成り下がるも何も、元々そうだったのではなくて?あなたの考えや悩みや苦しみは初めッからただのチープなもの、普遍的なもの、凡庸なもの、つまらぬもの、取るに足らぬものだったのではなくて?うるせえやい。それを認めちゃ、お終ェよ。

 

ゴミの分別方法って全国共通だと思ってた時代が私にもありました 

「伝わる人にだけ伝わればいい」。これでもし、伝わって然るべき人に伝わらなかった場合、我々はどう反応すればよいのだろう。仮に、レディー・ガガの「Poker Face」という曲を頭の中で容易に再生出来る程度には曲の内容を知っておりその上で同じバスに乗り合わせた子供が突然「ぽぽぽぽ」と叫んだことに私がビビった理由が皆目検討つかない人がいたとすれば、鈍すぎて逆に感心するレベルだ。いっそ別の生き物なんじゃないかって思ってしまうんじゃないかな。多分……研いでない包丁か何かだ。研いでない包丁に対して我々が出来ることは2つである。首根っこ掴んで砥石の上に寝かせるか、新聞にくるんでゴミの日にポイ。

 

だからゴスキッズが好きなんだ あいつら自称非協調主義者の集まりだからな

世界には80億人も人間がいるんだから、一人くらいは理解してくれる人間がいるだろう。こういうフワフワした前提が人を走らせる。形あるセリヌンティウスが常に必要とは限らない。形のないものが、人を走らせる。もし誰からも理解されないことを望んでいる人間がいたとしても、「誰からも理解されたくないという気持ちを理解されたい」という願望が心の底にあるのではなかろうか。というか、なければやってられないのではなかろうか。誰からも理解されたくない同盟とか。これは素晴らしく人間臭い矛盾である。誰からも理解されたくないという気持ちを理解し合った人間共の集まり。彼らの方が、常に誰かしらから理解されていたい人間よりも、却って人間臭いのかもしれない。

 

あの男の子の叫びが「ぽぽぽぽ!!!」ではなく「ママママ!!!」だったら心臓止まってた説

あると思います